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 元ソニー会長の平井一夫氏が、『ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」』(日本経済新聞出版)を出版した。自身がソニーで行った改革についてまとめた本だ。

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ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」

 筆者(西田)は都合十数年にわたり、平井氏に取材で何度も相対してきた。そんな関係もあってか、「あの本、どうでした?」と何度かたずねられている。そこで、筆者の目から見た平井氏の姿と本に書かれていた内容について、少し考えを述べてみたい。

この記事について

この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2021年7月19日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから。さらにコンテンツを追加したnote版『小寺・西田のコラムビュッフェ』(月額980円・税込)もスタート。

 なお、平井氏に関しては、彼が社長退任を発表した2018年2月に記事を書いている。今回の書評(?)も、その内容と関連性がある。お時間があればそちらもお読みいただければ幸いだ。

「経営者」とはどんな人々か

 企業の経営者にはいろいろなタイプがいる。一番分かりやすいのはスティーブ・ジョブズのような人だろう。経営者自身が他を圧倒するビジョンを持っていて、ブルドーザーのように周囲を押し流しながら目標に突き進み、最終的に結果へと結び付ける。“ハイパーディレクター”タイプの経営者、とでもいえばいいだろうか。

 このタイプは創業者やクリエイターからの転身者に多い。そして、主にB2Cプロダクトを主軸とする製品での成功例が目立つ。ある意味で一つの理想型といっていい。

 ソニーでいえば、創業者である井深大・盛田昭夫はそうした人々だったのだろう。あまり目立たないが、第4代社長の岩間和夫氏も、トランジスタの活用による「小型化とテクノロジーのソニー」というイメージを作ったという意味では、このタイプかと思う。

 近年のソニー関係者であり、筆者も取材した人々の中で圧倒的にこのタイプなのが、久夛良木健氏である。彼の発想力と美学がなければ、PlayStation(プレイステーション)は生まれていなかった。

 一方で、ハイパーディレクター型の経営者が常に成功し続けるとは限らない。スティーブ・ジョブズは偉大な人だが、たくさん失敗もしている。一度Appleを追われたのもそのためだ。

 久夛良木氏も、圧倒的に才気煥発(かんぱつ)であるがゆえに敵もいたし、PlayStation 3とそれに伴うCell構想が、歩調の乱れにより想定通りの成功を収められなかった結果、ソニーを去ることになった。筆者は今も、彼がソニーのトップになれていたらどうだっただろう……と思うことはある。

 ハイパーディレクターは特別な才能がなければできない仕事だ。そして、それは少数だからこそ光り輝く。経営者が全て彼らのような人材で構成されることはあり得ないし、彼らをロールモデルとするのは危険なことだ。メジャーな形ではあるが実は彼らこそ「異端」である。

 多くの経営者はもっと調停的だ。あちらを立てればこちらが立たず、という現実の中で、自社にとってベストなバランスの判断を下すことが求められる。時には社内政治もあり、その調整が必要になる時もある。「経営者の仕事は決断である」といわれるのは、この調停的な部分が存在するからだと、筆者は思っている。

 ハイパーディレクター型は決断を飛び越える。「そうすべきだ」と自分の中で基準がはっきりしており、基準そのものが他人と異なるからだ。まあ、だから軋轢(あつれき)も生まれるわけだが。

 では平井氏はどのような経営者だったか?

 筆者は「どちらでもなかった」と見ていた。本書のタイトルとは裏腹に、平井氏の経営手法は本質的に「異端」ではない。むしろ本道だ。そして、本書を読むことでそれを再び確信した。平井氏は明確な「プロデューサー型」だったのだ。


「止血屋」ではなく「土壌再生」が平井氏の本質

 平井氏は「3つのターンアラウンド」を成功させたことで評価されている。そのことは彼の著作でも明確だ。

 1つは、ソニー・コンピュータエンタテインメント・アメリカ(SCEA、現SIEA)の業績回復。今でこそ米国はゲームの本流といえる市場になっているが、PlayStationが立ち上がった1994年前後は、そうともいえなかった。市場ポテンシャルは圧倒的に大きいものの、生かせていなかった。ソニーにとっての米国ゲーム市場をまとめ上げて確固たるものにしたのが、平井氏の経営者としての最初の功績だ。

 そして次がソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE、現SIE)の立て直し。高コスト構造でメッセージもブレていたPlayStation 3事業を、コンペティティブなものにして、再びソニーの収益源まで持ち上げたことだ。

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PS3事業を立て直した

 もちろん最後はソニー自体のターンアラウンド。巨額の赤字を抱えていた本社事業を立て直し、継続的収益が積み上がっていく体質へと変化させたのが、最大の功績である。

 この3つをみると「赤字を立て直すためにコストカットして体質改善を実現した建て直し屋」に見えてくるが、それはちょっと違う。確かに「切るべき部分を切る」のが彼の決断の一つだったが、そこだけで評価すべきではない。

 なぜなら、出血を止めた後、どの事業も伸ばすことに成功しているからだ。別の言い方をすれば、「伸ばすための種を育てていく」ことに腐心したのが平井流、といってもいい。

 平井氏から筆者が聞き、強く印象に残っている言葉と、本書で語られた言葉は同じだった。

 「売れてくれれば最高。台数的にも、商業的にも。まずその前に、ユニークな商品を、リスクをとって『出していい』ということ、そして『出すことが評価につながる』ということも言い続けている」

 「レコード会社が新人を10組出したら、当たるのは2組。そんな、全部当てるような百戦錬磨のプロデューサーなんていない。だからチャレンジすべきだ」

 この2つは、平井氏の経営姿勢を明確に示している。

 成功の種は社内にある。だが、どの種が大きく育つかは分からないし、途中でうまくいかなくなることもある。

 だから、ソニーのような企業にとっては「種を増やし、芽が出る量も増やす」ことが重要。赤字=出血を止めるのは育てられる土壌を回復するためであり、単純な縮小均衡に陥ってはならない。

 このプライオリティーを明確に定めて、そのための決断を下していくことが平井氏の経営理念だった。そして、芽や種の側にも「なぜ必要なのか」「どうしてうまくいかないのか」の説明責任を求めた。それは責めているのではなく、次につなげる土壌を肥沃にするための行為でもあった。

 ちょっと印象に残っている話がある。

 平井氏がソニーの社長になって何が変わったか? ということを聞いた時に、こんな話が出たことがあった。

 「机の周りが汚くなった」

 一見悪いことに思えるがそうではない。エンジニアや企画者の周囲にいろいろな開発事物が転がっていることを「許す」ことで、社員同士のコミュニケーションや新しい発想が生まれやすくなった……というのだ。

 それまでは、パーティションで区切られ、秩序だった美しさを求められ、結果として業務からずれた話で盛り上がって発想が生まれることは少なかったという。多産多死・試行錯誤を許すのは余裕があるからであり、発想は混沌から生まれるから、納得できる話だ。

 まあ、ちょっと美しすぎるエピソードなので話半分に聞いておくべきかとは思うのだが。

 平井氏はクリエイターではない。技術者でもない。スティーブ・ジョブズや久夛良木氏のようなハイパーディレクターでもない。それはご自身が一番よく分かっているだろう。

 だが、世の中に優れた人材は多数いる。歴史に残るレベルでないとしても、常人には感服するしかない才能の持ち主は多数いる。

 彼らがチャレンジできる場をプロデュースすることが、平井氏の経営理念だった、と筆者は考えている。社長になってから各所の若手社員とのミーティングを繰り返しているが、それも才能ある人々を「やっていい」とたき付けるためのものだった。

 平井氏はキャリアをソニー・ミュージックからスタートした。天才的な才能を持つ人々と触れ合うことは多かったはずだ。そして、ソニーには素晴らしいエンジニアやデザイナーが集まる。彼らが萎縮せずに働けるだけの収益を生み出し、チャレンジしやすくすることが平井氏のマネジメントの根幹なのだ。

 こうした発想は、平井氏にとってソニー・ミュージックとSCE時代の上司である丸山茂雄氏の影響ではないか、と感じる。本書の中でも、丸山氏との関係は多数描かれており、平井氏もそのことを相当意識しているのではないだろうか。


「後を濁さず」だが課題は残る

 平井氏はソニーの建て直しの際、現ソニーグループ社長の吉田憲一郎氏を中心とした「チーム平井」を主軸に据えた。彼らの意見を平井氏が選択し、形を作っていくことで今のソニーグループは出来上がっている。

 スティーブ・ジョブズがiPod以降、Appleを巨大な成功に導けたのは、物流の天才である現Apple CEOのティム・クック氏を中心としたチームがいたからだ。結局ハイパーディレクター型であっても良いチームがないと巨大な会社は支えられない。同様に、平井氏も良いチームに支えられてソニーを立て直すことができた。

 あえていえば、平井ソニーはビジネス上持続的収益を上げる仕組みを整える、という意味では成功を収めたが、「次のヒットの種を芽から幹にまで育てる」ところまではいけなかった。エレクトロニクスでのヒット製品に頼る、という古典的なモデルから脱却し、持続的にチャレンジできる環境は整ったが、ソニーというブランドに求められる「見たことのないもの」は生み出していない。

 これはある種、ブランドに染み付いた呪いのようなもので、こだわり続けるべきではないのかもしれない。Appleも同様に、今はブランドの継続的な改善でヒットを生み出している。そもそも「不連続な変化はそうそう生まれない」ものだ。だが「継続的なブランド製品の進化」以外を求められてしまうのも、また事実。ソニーで新しい芽は、まだ育ちきっていない。

 また継続型ビジネスの中でも、結局PlayStation Network以外のネットサービスを根付かせることはできなかった。本当はNetflixやSpotifyに代表されるサービスは、ソニーからも生み出せていたはず。それが果たせずパートナーとの協業になったことの評価は読んでみたかった。

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独自の音楽サブスクであるSony Music Unlimitedは終了しSpotifyとの協業となった

 おそらく、こうしたジレンマはそのまま吉田氏に引き継がれている。しかし平井氏は吉田氏に完全にバトンを手渡した。その「手渡しっぷり」、引き際の良さは、平井氏らしいところといえる。平井氏は相当に「引き際の良くない人々」に困らされた経験があり、後を託す盟友たちにはその苦労はさせたくなかったのだな、と感じている。それは2018年2月にも感じたのだが、本書からはさらにその印象を強くした。そうしたある種の潔さは、平井氏の美点だと思っている。

 最後に1つ。

 これは「たられば」のレベルだが、久夛良木氏のようなハイパーディレクターをプロデュースする平井氏の姿も見たかった。それは、丸山氏が久夛良木氏をプロデュースした姿に重なる。タイミングや巡り合わせがまた違えば、「プロデューサー・平井」の姿はもっと目立ったのではないか、とも思うのだ。

 平井氏がプロデュース業の中の「土壌づくり」に終始したことを、ご自身がどう評価しているのか。それは本書の中であまり語られなかった部分である。