7月23日夜の開会式を以て、「東京オリンピック2020」がスタートした。東京都では7月に入って新型コロナウイルスの感染が拡大しており、7月12日から8月22日まで、4度目の緊急事態宣言が発令されたところだ。「歓迎されないオリンピック」。ネットを見ていると、そんな空気感を強く感じる。
その一方で、23日昼のブルーインパルスの五輪飛行は、実際に見たい、写真を撮りたいと、多くの人々が撮影スポットへと繰り出し、各メディアでも好意的に大きく報じられた。選手村をバックに記念撮影する人も多くおり、ネットから伝わってくる反オリンピックとは別の空気もまた、現実社会に存在するようだ。
「始まってしまえば盛り上がる」人々は手のひらを返したのか
7月に入った辺りから、テレビではオリンピック開催への賛否が盛んに議論されてきた。トーンとしては、こんな状態で開催して大丈夫なのか? というものだったが、それは政府や東京都が開催ありきのスタンスを崩さないことへの反感でもあった。
テレビ報道が世論を誘導していると言う人は多い。しかしどこにもないことは捏造できないので、放送されるものは「どこかであった事実」や「誰かの見解」だ。もちろん取り上げ方が針小棒大で公平性に欠ける報道なのであれば、偏向報道として放送倫理に触れることになる。
実際にテレビが行うのは、世論の動きを早く捉えて、今後こうなりそうだという「風」を読んで推すことである。なぜなら、テレビは多くの人から共感を得ることでビジネスを成立させているからだ。
オリンピックが近づいても、テレビ報道はオリンピックに懐疑的なスタンスを崩さないが、一方でオリンピックに好意的な番組も出てきた。これはテレビ局の中は必ずしも一枚岩ではなく、番組ごとに方向性が異なるからだ。辻褄(つじつま)が合わないと憤る方もいるとは思うが、こうした多様性によって最終的にメディアの中立性が担保される仕組みである。
ではネットの世論の動きはどうだろうか。「Yahoo! リアルタイム検索」を使って、ここ1カ月のオリンピックに対する感情の割合を追ってみた。7月7日に最初のピークが訪れるが、その直前まで、オリンピックに言及したツイートは約3万件前後で安定している。この間のネガティブ率は78%でかなり高い。
7月7日に発生したピークは、8月に茨城・国営ひたち海浜公園で予定されていた大規模野外フェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL2021」が中止されたことに起因する。まだ1カ月も先のイベントは中止されたのに、オリンピックをやるのはおかしいのではないか、という反発である。
この頃が反オリンピック感情が一番盛り上がった時期である。そしてオリンピック開会式が行われる23日直前まで、ネガティブ反応は高いままで推移する。
しかしオリンピック開会式開始時点から24時間さかのぼると、ネガティブ反応とポジティブ反応の比率は逆転する。
さらに開会式中の午後9時から6時間前までは、ネガティブ反応は40%にまで減少した。観測したのは午後9時なので、これ以降さらにボジティブ反応が増える可能性は高い。
「始まってしまったら盛り上がる」と予想したテレビコメンテーターもいた。その通り、「やるならやるで応援したい」と反転した人もいるだろう。だが最終的に45万件に達したツイート数からすれば、これまでネガティブ反応に圧されて発言を控えていたポジティブ派の人たちも、相当数いると思われる。その人たちは始まってから反転したわけではなく、最初から許容していた人たちではないのか。
東京近郊在住の方々が、感染拡大の危険と隣り合わせの大イベントに危機感を持つことは当然だ。一方で、ブルーインパルスを見に広場へ集まった人たちや、開会式の花火を見物にオリンピックスタジアム周辺にまで足を運んだ人々もまた、東京近郊の方々であろう。その人たちを、一部のマイノリティーだと片付けられるのだろうか。
何を意味する? 絶好調なBS4K対応レコーダー
8割以上の競技会場で無観客開催が決定して以降、オリンピック観戦はテレビで、という事になった。そもそも地方在住者にとっては、リアル観戦は最初から視野に入っておらず、テレビ観戦が標準である。
JEITA(電子情報技術産業協会)が毎月発表している統計資料によれば、新4K8K衛星放送機器の出荷台数が、オリンピック開催を前に急増している。前年比で見ると、テレビは4月がピークだが6月も118.9%と好調だ。加えてレコーダーは6月に205.3%を記録するなど、絶好調と言っていい。
前年比ということで、じゃあ2020年はどうだったかといえば、ご記憶の方も多いと思うが巣ごもり需要で家電の売り上げが好調だった年である。その2020年と比較しても、さらに伸びているというわけだ。
正直BS4K放送などは、これまでコンテンツとしてはほとんど期待されてこなかった。それを録画するレコーダーが5月から6月にかけて急激に売れ始めたということは、単なる巣ごもり需要の延長ではない。オリンピックの4K放送を録画して見ようと、多くの人が動き出したからだろう。
これらオリンピックのためにコストを払った人たちは、オリンピックに対して積極的な賛成ではないにしても、許容派ではあるといえる。ネットだけを見ていると、世の中の大半が反オリンピックのような気がしてくるが、それはつまり典型的なフィルターバブルに捕まったということである。
1つの意見にだけ囲まれていると、世の中のほとんどの人がそうだと思ってしまう、一種の錯覚に陥る。世論とは、ネットから拾い上げやすいのは事実だが、そこだけに存在するわけではない。リアル社会の上で見れば、世論は最初から許容派と反対派に分断されていたのだ。
許容派も開催に反対する理由には理解を示すところだし、反対派も好きなスポーツの選手を応援したいという気持ちすら否定するわけではないだろう。相反する2つの気持ちは、お互いを理解している。だから、どっちかになるということはできなかったのだ。
オリンピック・パラリンピックが終了しても、開催したのが良かったのか悪かったのか、誰がどのような切り口で意見を述べるかで、また分かれるだろう。これだけ異例ずくめの大会の開催の是非は、その時を生きている私たちには簡単には決められない。最終的な評価は、この出来事が「歴史」になるまで、長い時を待たねばならないだろう。