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2021年の「土用の丑の日(どようのうしのひ)」は、7月28日水曜日。“うなぎを食べる日”として知られていますが、なぜ「土用の丑の日」と呼ばれているのか、そしてそもそも、なぜうなぎなのでしょうか? 今回は、数多くの料理本を手掛ける編集者であり、食文化研究家としても活躍する畑中三応子さんに、「土用の丑の日」とは何か、そして日本人とうなぎの深い関係についてお話を伺いました。

 

そもそも「土用の丑の日」とはどういう意味?

「土用の丑の日」という言葉は知っていても、意味までは知らない人が多いのではないでしょうか。まずは、その言葉の意味を教えていただきました。

 

「“土用”とは暦のひとつで、季節の始まりの日である立春・立夏・立秋・立冬の前の約18日間をいいます。夏の土用が有名になっていますが、本当は年に4回あるんですよ。そして、丑の日の“丑”とは、十二支の丑のこと。日本では、子・丑・寅と、日にちを十二支に当てはめて数えることがあります。つまり『土用の丑の日』とは、土用の約18日間の中でめぐって来る丑の日のことを指しているのです。

また、土用は約18日間なのに対し、十二支は12種類。13日目で、また初めの“子”に戻るため、年によっては丑の日が2回めぐってくることがあります。そのような場合は、1度目の丑の日を「一の丑」、2度目の丑の日を「二の丑」と呼んでいます」(畑中三応子さん、以下同)

 

古代から続く日本の食文化「土用丑の日」にうなぎを食べる理由とは?

うなぎは、ビタミン・ミネラルが豊富で、疲労回復に効果的な栄養食。日本では古くから、夏バテを避けるためにうなぎを食べる習慣があったと、畑中さんはいいます。

 

「日本でうなぎの食用が始まったのは、縄文時代。当時の貝塚からうなぎの骨が発見されていることから、古来より日本でうなぎが食べられていたことがわかっています。また、有名な古事として、奈良時代末期に編纂された『万葉集』にもうなぎに関する歌が残っています。これは、歌人の大伴家持が友人に詠った『夏痩せにはうなぎを食べると良い』という内容のもの。つまり、この頃からうなぎは栄養価が高く、夏にはぴったりだと認識されていたのです」

 

それでは、なぜ「土用の丑の日」が「うなぎを食べる日」としてピンポイントに知られるようになったのでしょうか?

 

「『土用の丑の日』にうなぎを食べる習慣が広まったのは、江戸時代後期。所説あるのですが、蘭学者の平賀源内が『本日土用丑の日』というキャッチコピーを作って、友人のうなぎ屋さんの店頭に張り出したという話が有名です。そのうなぎ屋が大繁盛したことから、他のうなぎ屋もこぞって真似るようになり、土用丑の日がうなぎ屋を食べる日として定着していったといわれています」

 

うなぎを食べるだけじゃない!? 夏の「土用丑の日」の過ごし方

今でこそ「土用丑の日」=「うなぎを食べる日」というイメージが強いですが、本来はそれ以外にも「土用丑の日」ならではの食文化や風習があるのだとか。

 

「土用丑の日には、うなぎ以外にも『う』のつくものを食べると良いとされていました。例えば、うどんやウリ、梅干しなど。それ以外にも、ドジョウ汁やにんにく、“土用餅”と呼ばれるあんころ餅を食べる地域もあるそうです。どれも栄養価が高く、夏バテによる疲労回復を助ける食材ばかりです」

 

夏の土用には、食べ物以外にも『土用干し』や『丑湯』という風習がある、と畑中さん。

 

「『土用干し』というのは、夏の土用の時期に本や衣類を陰干しすること。カビや虫がつかないようにと、今でも行われている習慣のひとつです。また、夏バテ防止のためにと薬草を入れた『丑湯』に入る習慣がある地域もあるそう。つまり、うなぎを食べる以外にも、一年で一番暑いといわれるこの時期ならではの風習が、日本には根付いているのです」

 

江戸で人気のファーストフード「うなぎ」、実は冬の方が美味しい!?

香ばしいたれの匂いが食欲をそそる、うなぎの蒲焼き。しかし、現在のように、ひらいて食べるようになったのは、江戸中期の元禄時代頃になってから。それ以前は、ひとえに「蒲焼き」といっても、調理方法がまったく異なっていたといいます。

 

元禄時代以前の『蒲焼き』といえば、うなぎをぶつ切りにして、串に刺したもの。これも所説ありますが、『蒲焼き』という名前は、その姿が植物の蒲(がま)の穂に似ていることから名付けられたといわれています。味付けも今のようなたれではなく、山椒味噌やたまり醬油を付けて食べていたそうです。金額も手ごろで、江戸のファーストフードとして庶民に親しまれていました。

江戸中期に入り、ひらいて焼き上げるスタイルが確立してからは、だんだんと高級化。江戸後期には、今の値段で換算すると、うな丼1つで4000円ほどしたそうです。手が届かないわけじゃないけど、なかなかのごちそうですよね。だからこそ、一年に一度、『土用の丑の日』にうなぎを食べようという習慣が広まっていったのではないかと思います」

 

平賀源内が活躍していた江戸後期は、空前のグルメブーム。当時のうなぎのグルメガイド「江戸前大蒲焼番附」には、江戸市中だけで約220件ものうなぎ屋が掲載されており、人気の高い食べ物であったことがうかがえます。

 

さらに面白いのが、当時の食通は「夏のうなぎ」よりも「冬のうなぎ」を好んで食べていたということ。夏にうなぎを食べる習慣が広まっていた中で、なぜ冬のうなぎを好んでいたのでしょうか?

 

天然うなぎの旬は、実は冬。冬眠や産卵のために栄養を蓄えた冬のうなぎの方が、脂がのっていておいしいといわれています。当時の食通のエッセイを読むと、逆に夏のうなぎはさっぱりとして淡白だったと書かれています。しかし、それはあくまでも天然うなぎの話。現在は、年間を通して品質が安定するように育てられている養殖うなぎがほとんどなので、いつでも美味しく食べることができますよ」

 

うなぎの個体数は減少している…その理由とは?

古くから土用の丑の日に美味しく食べているうなぎですが、絶滅危惧種として指定されていることを知っている人も多いのではないでしょうか。うなぎ減少の主な原因についても、教えていただきました。

 

理由1. 過剰な漁獲・密漁

「うなぎの養殖は、天然のシラスウナギ(うなぎの稚魚)を漁獲し、飼育することで成り立っているのですが、そのシラスウナギを過剰に漁獲していたことが減少の理由として挙げられます。コンビニエンスストアやファーストフード店でも安価でうなぎが食べられるようになるなど、近年うなぎの消費量が急速に増加。その大量消費に応えるためにと乱獲されてきた現実があります。

 

さらに、天然のシラスウナギは『泳ぐダイヤ』と呼ばれるほど、高額で取引されているもの。違法な密漁が横行していることも、減少の理由だと考えられています」

 

理由2. 河川環境の悪化

「うなぎが育つ河川の水質汚染も深刻な問題です。ダムの建設やコンクリート護岸など、私たちが行ってきた開発は、生態系に大きな影響を与えてきました。そうした人為的な要因も大きく関わっているのです」

 

理由3. 地球規模の気候変動

「さらに、地球温暖化による気候変動も大きな原因のひとつです。例えばニホンウナギは、マリアナ諸島に近い深い海で産卵し、その後海流にのって日本の河川にやってきて成長します。しかし、気候変動によって海流が変化してしまうと、日本にやってくることすら困難。そうした理由から、そもそもの繁殖数が減ってしまっているのです」

 

私たちがうなぎ食と向き合っていくために

さまざまな要因によって、絶滅の危機に瀕しているうなぎ。古くから日本に根付いている『うなぎを食べる』という食文化を継承しながらも、うなぎを守っていくにはどうすればいいのでしょうか?

 

「そもそものうなぎの生息数を取り戻すためには、河川環境を良くしたり、地球温暖化を食い止めたりする必要がありますが、私たちがすぐに解決できる問題ではありません。しかし、そうしたさまざまな要因が、うなぎの減少に直結しているのだと知るだけでも、うなぎに対する考え方が変わると思いませんか?

 

また最近では、大手小売店がトレーサビリティ(商品の生産から消費までの過程を追跡すること)のはっきりとしたうなぎを発売して話題になりました。そうした密漁ではない、クリーンなうなぎを選ぶという意識をもつことも、うなぎと食文化を守ることにつながっていくと信じています」

 

 

毎年やってくる土用の丑の日。何気なく食べているうなぎですが、この日だけでも、うなぎの取り巻く諸問題に目を向けてみませんか。

 

【プロフィール】

食文化研究家 / 畑中三応子

食文化研究家、編集者。編集プロダクション「オフィスSNOW」代表。『シェフ・シリーズ』『暮しの設計』編集長をつとめるなど多数の料理書を手がけ、流行食を中心に近現代の食文化を研究・執筆。第3回「食生活ジャーナリスト大賞」ジャーナリズム部門の大賞受賞。著書に『ファッションフード、あります。−−はやりの食べ物クロニクル』(ちくま文庫)、『〈メイド・イン・ジャパン〉の食文化史』『カリスマフード−−肉・乳・米と日本人』(ともに春秋社)など。