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【編集部注:】

12月に入ってから、地方で軍による市民への攻撃が残虐さを増しているミャンマー。

そんな中、「軍政は絶対に受け入れられない」との思いを一層強固にし、断固、闘う意思を固めている人々の様子を伝えるFacebook投稿を紹介しました。

~ 以下、Facebook投稿より ~

12月25日、クリスマスの朝。 カヤー州では、8台の車、5台のバイクとともに、35人が焼かれた状態で見つかった。 女性や子どもも含まれていたが、本人の確認ができる状態ではないという。 (c) Myanmar Now

「今年は、つらいクリスマスになってしまったわね」
クリスマスのあと、久しぶりにクリスチャンの知人を訪ねると、その初老の女性はそう言って微笑んだ。
そしてその表情のまま、じわっと涙を浮かべた。
地方での軍の攻撃は、12月に入り、残虐さを増した。
無差別に町を空爆したかと思えば、民間人を拷問し、焼き殺す。
「本当に、軍の非道さと言ったら…。
 あんな残酷な兵士たちを相手に戦う若者たちが、本当にかわいそうで…」
彼女は途切れ途切れにそうつぶやいた。
夜眠れない日もあるのだといい、毎日ただ祈ることしかできない、と嘆いた。
現在の戦闘状態を、彼女は望んでいないのだろう。
そう思いつつ、私は小声で無遠慮な質問をした。
「軍政が続くのと、戦闘が続くのと、どちらがマシですか」
彼女は涙を浮かべたまま、きっぱりと言った。
「軍政は絶対に受け入れられない。
 私は、PDF※がヤンゴンに来る日を待ってるのよ」
※民主派側の武装組織。若者たちが全国各地で自主的にPDFを組織し、国軍との戦闘を続けている。
===
「もしも仮に、今、スーチーさんが軍から解放されて
 僕らに『武器を手放しなさい』と言っても、きっと誰も従わないだろう。
 この戦いは、彼女でさえ止められないんだ」
友人はそう言って、少し複雑な表情を浮かべた。
スーチーさんは武力行使に反対すると思う?と聞くと、彼は「分からない」と答えた。
「僕たちは最初、平和に行動した。君も見ていた通りだよ。
 銃で撃たれても、暴行や拷問をされても、僕らはギリギリまで耐えたんだ。
 それから、どうしようもなくなって銃をとった。
 でもその苦悩の過程を、彼女は見ていない。
 非暴力闘争でノーベル平和賞をとった彼女が、武力闘争を認めるかどうか、僕には分からないよ」
そして彼は、思いもしなかったことを口にした。
「軍は、長引く戦闘を終わらせるために、最終手段としてスーチーさんを使うかもしれない。
 つまり彼女をメディアに出して『戦闘はやめなさい』と言わせるんだ」
えーそんなことあり得る?と疑わしげな私に、
彼は、軍はいつだってそういう卑怯な手を使ってきた、と言い捨てた。
「僕が心配しているのは、そうなった時の、僕たちとスーチーさんとの信頼関係だ。
 多くの国民は、スーチーさんを信頼し、尊敬している。
 でも武力闘争をやめろと言われたら、それに関しては彼女に従うことはできない。
 僕らにとって、彼女を悲しませるのはつらいことだよ」
でも、僕らはスーチーさんのために戦っているんじゃない。
自分と子どもたちの未来のために戦っている。
だから仕方ないんだ。
彼は言葉を変えて、同じ内容を何度も繰り返した。
私が彼の説明を間違えて理解しないように、注意しているようだった。
そういう心配をしている人はあなただけ?と聞くと、彼は「僕の他にもたくさんいるよ」と答えた。
===
別の友人に彼の苦悩について話すと、彼女はこんな風に言った。
「軍が本当にスーチーさんを利用するかどうかはさておいて、
 私は、スーチーさんは今のミャンマーの状況を理解してくれると思うよ」
そして昨年の選挙の前、スーチーさんがテレビのインタビューに答えた時の話をしてくれた。
インタビュアーは、こんな質問をしたそうだ。
『もしまた今あなたが逮捕されたら、ミャンマーはどうなると思いますか?』
彼女の記憶によれば、スーチーさんはこんな風に答えたという。
「民主化して以降、ミャンマーの国民は民主主義の中で呼吸をしてきました。
 民主主義を咀嚼し、飲み込み、身体に染み込ませてきたのです。
 それまでの軍政との違いも、国民は十分わかっているはず。
 私が逮捕されても、ミャンマーは大丈夫です」
「スーチーさんは私たちの選択を信じるはず」と彼女は私の目を見て言った。
そして、選挙前スーチーさんはこんなことも言っていた、と思い出したように付け加えた。
「もし選挙で私たちがNLD(スーチーさん率いる民主政党)を支持すれば、NLDは生き残る。
 もし支持しないなら、NLDは敗れる。それが民主主義です、と彼女は言ったの。
 民主主義の国では、私たち自身が、良い未来を実現する手段を選べるはずなのよ」
===
2015年から始まったスーチーさん率いるNLD政権には、実は批判も多かった。
あるビルマ族の知人は、はっきりと言った。
「NLD政権の実力は、正直たいしたことなかったよ。
 NLD政権の政治家たちにも、この人はすごい!と思える人はいなかった」
しかし、それは仕方ないのだ、と彼は続けた。
「NLDの政治家には、民主化運動に身を投じたせいで、長年刑務所に入っていた人も多い。
 そういう人たちが実務能力や国際感覚をもつなんて、無理でしょう。
 だけどそういう人たちは、長年苦しい思いをしても民主主義を諦めず、
 軟禁中のスーチーさんと心を一つにして耐えてきたわけだ。
 スーチーさんはそれに報いたんだよ」
それだけじゃないと思うなぁ、と別の友人。
「2015年の政権に何より必要だったのは、個人の能力や実力じゃなかったんだよ。
 それより、国軍とは何かを知っている人。
 つまり、内心を態度に出さずに、ご機嫌なフリで軍司令官と握手できる人だ。
 あの憲法がある限り、NLD政権なんて砂上の楼閣だからね。
 軍の機嫌を損ねるとどうなるかよく分かっている人こそ、適任だったと思うよ」
しかし、2期目になれば、また潮目が変わる。
…少なくとも、そのはずだった。
友人によれば、次の5年でNLD政権は、たとえばDr. Sasaのように、カリスマ性や実績のある若者や留学経験のある人たちを登用しようとしていたのだという。
「スーチーさんは最初の5年間で、本当に国をつくる力のある人を見定めてきたんじゃないかな。
 つまり、これまでの5年間は、NLDにとっては布石。これからが本番だったんだ」
===
突然奪われた未来を取り返そうと、必死に闘い続けたミャンマーの11カ月。
失われたものの大きさは、想像すらできない。
それでもミャンマーの人々の不屈の闘志と、自由への意志に、私は何度でも希望を見出す。
2022年、どうかミャンマーの未来に光が射しますように。

先週カヤー州では、戦闘のため教会に避難してきた女性や子どもたちのうち、軍の砲撃によって4人が死亡、8人以上が負傷した。 軍には祈りが通じない。それでも祈ることしかできないのだろうか。 (c) RFA

昨年11月の選挙。コロナ禍の中で、人々はスーチーさんがプリントされたマスクをつけ、NLDの党旗を掲げて応援した。   クーデターの後、家々のベランダではためいていたNLDの党旗はそっと降ろされた。旗を畳んだとき、人々はいったいどんな気持ちだったのだろうか。 (c) Myanmar Now

12月26日、ザガイン。 絶対にあきらめない人たちの姿。   国際社会は、彼らの未来を見届ける義務があると思う。   (c) Khit Thit Media/Twitter

 

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