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   冬が近づき、北半球では新型コロナウイルス(以下、コロナ)の感染が再拡大しつつある。特に欧州諸国の感染拡大は顕著だ(図1)。

   世界は感染拡大対策に余念がない。その中核は、ワクチンの追加接種と治療薬の確保だ。本稿では、後者についての世界および日本の状況についてご紹介したい。

   10月1日、コロナ対策は転換点を迎えた。米メルク社が、軽症から中等症のコロナ患者を対象とした経口治療薬モルヌピラビルについて第3相臨床試験の中間解析の結果を発表したからだ。この試験では、無作為割り付けから29日間に入院または死亡した患者は、モルヌピラビル投与群で7.3%(385例中28例)、プラセボ群で14.1%(377例中53例)だった。モルヌピラビル投与により、入院または死亡のリスクを48%低下させたことになる。

   この臨床試験では、さまざまなサブグループを対象とした解析も行われているが、基礎疾患を有するハイリスク群、デルタ株・ガンマ株・ミュー株などの変異株に感染した群など、すべてのサブグループ解析でモルヌピラビルの有効性が示された。モルヌピラビルは高齢者や持病のある人、デルタ株に感染した人に対しても期待できそうだ。

   安全性についても有望な結果が得られた。この臨床試験では、治療薬と因果関係があるとされた有害事象はモルヌピラビル群で12%で、プラセボ群の11%と大差なかった。治療薬の中止が必要となった有害事象にいたっては、モルヌピラビル群で1.3%で、プラセボ群の3.4%より低かった。

   メルク社はモルヌピラビルを安全かつ有効と判断し、米食品医薬品局(FDA)に緊急使用許可(EUA)を申請した。この臨床試験は国際共同で実施され、日本からも国立国際医療研究センターなど3施設が参加している。メルクの日本法人であるMSD社も厚生労働省に特例承認を申請中だ。

家族への予防投与が可能に

   医療の基本は早期診断、早期治療だ。コロナ診療も例外ではない。世界のメガファーマがコロナ治療薬の開発に鎬を削っており、軽症から中等症の患者に対しても、すでに幾つかの薬剤が承認されている。国内では米リジェネロン社とスイスのロシュが開発し、中外製薬が販売する抗体カクテル療法ロナプリーブや、英グラクソ・スミスクラインが開発したソトロビマブが既に承認されている。

   確かに、これらの薬剤の治療効果は高い。ロナプリーブの場合、入院あるいは死亡を70%減らすことが示されているし、ソトロビマブはさらに有望で、その効果は79%だ。この点でモルヌピラビルは見劣りがする。

   しかしながら、ロナプリーブやソトロビマブには欠点がある。それは点滴や皮下注射でなければ投与できないことだ。取り扱うことができる医療機関は限定され、多くの患者はその恩恵を蒙ることができない。一方、モルヌピラビルは飲み薬だ。どんな医師でも処方可能だ。

   9月、メルクは感染者と同居する家族に対する予防投与の臨床試験も開始した。20年11月、FDAは、塩野義製薬が販売するインフルエンザ治療薬ゾフルーザの、家族に対する予防投与を承認しており、今回の臨床研究は、同じスキームを用いている。もし、モルヌピラビルの有効性が証明されれば、家族や接触者などに対する予防投与も承認される。このような介入は、経口薬だからこそ実行可能だ。

   かくの如く、経口治療薬はコロナ対策を一変させるポテンシャルがあり、メルク以外にもスイスのロシュ、米ファイザー、日本の塩野義製薬などが開発の最終段階にある。ただ、いずれも今冬の流行には間に合いそうにない。

   今冬の流行に備え、世界各国はモルヌピラビルの争奪戦を繰り広げている。ボトルネックは、メルク社の製造能力だ。メルクは、「リスクをとって」(同社HPより)正式承認前から製造設備に投資しているが、2021年末までに、メルクが提供できるのは約1000万人治療分にすぎない。2022年度も2000万人分だ。

すでに過熱している獲得競争

   一部の国はモルヌピラビルの確保に成功している。先頭を走るのは米国だ。初動が早い。6月9日には、モルヌピラビルが承認されれば、170万回治療分を購入する契約を結んでいる。米国政府は、必要な追加購入が可能なオプション契約を結んでいるから、メルクが供給できるモルヌピラビルのかなりを米国が使用することになる。

   米国政府がメルクに支払うのは12億ドル(1368億円)だ。一人あたりの価格は712ドルである。モルヌピラビルの原価は17.74ドルとされるので、メルクは大きな利益を得ることとなる。獲得競争に遅れた国は、この価格以上のカネが求められるのは言うまでもない。

   米国に続き、いくつかの国がメルクとの契約を発表した。早いのはアジア諸国で、10月7日、米『ニューヨーク・タイムズ』は「アジア・太平洋諸国がメルクのコロナ治療薬の購入を急速に進めている」という記事を掲載し、オーストラリアが30万回治療分、マレーシアが15万回治療分を確保したことを報じている。他に、韓国やシンガポールも契約を締結している。アジアが急ぐ理由について、10月17日、米CNNは「ワクチン確保で、アジア太平洋諸国の多くは目標を達成できなかった。今回は、同じ失敗を繰り返していない」と評している。

   欧州でも、確保は進んでいる。10月20日、英国政府はメルクおよび臨床開発を進めているファイザーと契約を締結し、モルヌピラビルについては年内に48万回治療分を確保したことを報じた。

   では、日本はどうだろうか。本稿を執筆している2021年10月26日現在、日本政府はモルヌピラビル獲得について情報を開示していない。大口顧客であるEU(欧州連合)や中国などと争奪戦を繰り広げている最中だろう。十分な量の確保は至難の業と言っていい。ワクチン確保失敗の二の舞とならないことを願う。

途上国との「供給格差問題」にどう向き合うか

   実は、日本には中国、英国以外にもモルヌピラビル確保の「ライバル」がいる。それはワクチン接種が進んでいない途上国だ。多くの先進国では、最低一回ワクチンを打った人は国民の7割を超えるが、途上国では多くが未接種だ。アフリカの接種率は5%程度だ。ワクチン未接種でコロナに感染すれば重症化しやすく、早期にモルヌピラビルを服用することで死者・重症者を減らしたいと考えるのは、自然なことだ。飲み薬なので、医療体制が整っていない地域でも利用できる。

   勿論、このあたりメルクも抜かりはない。4月27日にはインドの大手後発品メーカー5社に対し、ライセンスを供与し、この5社はインドや他の途上国でモルヌピラビルを販売することができる。その後、契約は8社に増え、現在は109の途上国に提供が可能だ。

   この仕組みについては、世界からも高く評価されている。メルクには、2004年に起こった鎮痛剤バイオックスの薬害事件を隠蔽、データを改竄、その後、2万7000件の訴訟で48.5億ドルの和解金を支払うなど、負のイメージもあるが、以前から途上国対策には熱心だった。第二次世界大戦後、日本に無償でストレプトマイシンを提供したり、大村智博士が発見したアベルメクチンからイベルメクチンを開発し、アフリカ諸国に無償供与したのもメルクだ。今回の対応も、このようなメルクの伝統を引き継ぐものだろう。

   ただ、今回のスキームが、どこまで途上国で機能するかは不明だ。10月17日、『ロイター』は「メルクのコロナ飲み薬で『格差』再燃、低中所得国は確保困難も」という記事を掲載している。この記事の中で、国際医療関係者の話として、「低中所得国に十分な量のモルヌピラビルが行き渡るには数が足りない上、国際機関側の態勢不備と官僚主義的な手続きに阻まれ供給時期が一段と遅くなりかねない」という意見を紹介している。後発品を生産するインドの企業は、現時点で生産計画を開示していない。

   この他にも、国連が支援し、製薬企業や研究機関が特許を第三者に格安で提供する「医薬品特許プール(MPP)」という枠組も存在し、メルクがモルヌピラビルのライセンス供与先を拡大した場合、製造を希望する企業24社と既に契約を結んでいるが、現時点で、この枠組は機能していない。

   今冬、日本は先進国との確保競争だけでなく、途上国とのモルヌピラビルの分配という難しい問題に直面する。その中で、日本はどう振る舞うべきか、いや、どの程度のモルヌピラビルを確保し、どの程度、国際社会に貢献できるか、日本の矜持が問われている。

上昌広
特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。
1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。