銀メダルを獲得した宇田選手。目標は、「表彰台に上がって目立ちたい」でした。この「目立ちたい」という言葉の裏には、「かっこいい姿を見せたい」という家族への感謝の思いがあります。
宇田選手が右腕を失う事故にあったのは、2013年5月、妻の亜紀さんと結婚してからわずか5日後のことでした。
そのとき、亜紀さんのおなかには子どもがいて、ふだんは明るい性格の宇田選手も将来への不安にかられましたが、亜紀さんは「なんとかなるよ」と背中を押し、毎日看病してくれたといいます。
そして、この入院中に、亜紀さんとの会話で出てきたのが「パラリンピックに出る」という新たな道でした。
高校の時、サッカーの滋賀県代表として活躍した宇田選手は、トライアスロンを始めた直後からバイクとランを武器に国際大会で活躍。一方、妻の亜紀さんもスポーツ選手の食事についての専門知識も学んで資格も取り、栄養面から宇田選手を支えました。
なかでも、ほぼ毎食出すというみそ汁はおかずのレパートリーが豊富で、宇田選手も「僕の力の源です」と言い切る腕前です。
そして事故から8年で迎えた東京パラリンピックのレース。
宇田選手は「表彰台に上がって目立つ」という有言実行で、支えてくれた亜紀さん、そして子どもたちに「かっこいい」姿を見せ、感謝の気持ちを示しました。