もっと詳しく


2019年11月24日
とてもとても言葉では言い表せないほどの、「退団」がありました。

明日海りおさん。
みりおくん。

2013年、とむさんの別箱公演『戦国BASARA』から花組に組替え。
本公演はそのあとの『愛と革命の詩~アンドレア・シェニエ』から。
とむさんの退団で、2014年5月から花組のトップスターとなりました。

なんてこたあ書かなくても、ここに時々訪れて下さっては、年に2~3回となってしまったこのブログの更新を見守って下さっている皆々様におかれましては、今更の100乗ですね。

ブログを遡っていただければわかりますが、私は壮ちゃんが抜けて実質不在だった2番手にみりおくんが決まった時は、まあいろいろあって手放しでは喜べませんでした。
でも今、こんなにもこんなにも大きな喪失感を感じるほどに、あの頃の自分に「ちょ、ちょと待て5年後を見ろ~~」とタイムマシンに乗って<ご指導>に行きたくなるほどに、みりおくんと今の花組が愛おしくてたまりません。←退団ごあいさつのようですね

以下、退団当日の夜、日付が変わる少し前にのこした私のツイッターです。


【日が変わる前に「今」「花組」の「トップスター」である「宝塚」の「生徒さん」の明日海りおさんに、感謝を書き残したい。
私は宝塚を好きになってから、花組ファンである時間が1番長い。前トップのとむさんの2番手さんとして花組にいらした時は「準トップ」というナゾの肩書きがついてましたね。
最初は「大人な感じのとむさん花組で2番手さんとして何ができるのかな…、かわいそうだな」と今にして思えば大変大変(×100…)失礼なことを考えていました。『ラスト・タイクーン』(とむさんの退団公演)でもブレーディ役はちょっと可哀想でした。

退団公演やサヨナラショーでみられた捨てられちゃう子犬みたいな目や隠しきれない心細さも痛いほど伝わってきました。私はとむさんファンだったから、この後の花組、私観るのかな?と思った。でも『エリザベート』『カリスタ』…と水面下で必死に足掻きながらも、花組を守ろう、盛り立てようとしてる姿や、ひとつひとつ丁寧にこなしていく姿勢、花組の団体賞や台湾公演の成功で力をつけていく様子を見て、みりおくんの本質がやっと見えてきた気がした。なんのコトはない、スポンサーだとか御曹司とかいう付加価値(に見えるファサード)に目隠しされてたのは私だったんだ!と気づきました。

たまたま東京に出た時にやってた『メサイア』を見て、「明日海花組安泰じゃん!」「私まだ花組ファンだ!」「てか、花組変わってないし!」と痛感した。みりおくん、ごめんなさい!あなたは花組という大きな枷をエネルギーに変えて歩き続けてきてくれてたんだね!と。
そしてそれも含めて花組トップスター 明日海りおとして、全部受けとめ消化して輝いてるんだね、と。
とむさんからバトンを受けとり、伝統を受け継ぎ、「これぞ宝塚!これこそ明日海りお!」というところまで高めるという仕事をして、みりおくんは退団するんだな、と、今日のLVを見て思いました。

だから、本当にありがとう。
心からお疲れ様でした。

花組をずっとずっと好きでいさせてくれたことに、心から感謝して止みません。
宝塚の、花組の、明日海りおさんをきっときっと忘れない。
あなたも最高のトップスターさんでした!】

みりおくんが大階段を降りてのご挨拶の最後に
「第27代目 花組トップスター・明日海りお、本日を持ちましてその任務を終えます!」とおっしゃった時に、涙が…止まりませんでした。
こんなに重くて、こんなに責任感があって、こんなに宝塚ファンの心を思ったご挨拶は、近年聞いたことがありません。
これが花組トップスターを5年間勤めた、「継承していくもの」のすべてなんだなあ。
いまや「宝塚」の顔となって。

花組に来た時の、そしてとむさんの退団に心細そうにしていた顔を知っているからこそ、この5年という時間のとてつもない重さは、果てしなく想像を超えます。
でも、それを残していく寂しさを随所に素直に口に出しながら、それでも笑って最後まで務めを果たそうとする笑顔に、私は慰められました。
退団は、宝塚に入ったら、ほとんどの人が避けられない「宿命」。
でも、こんなにこの「人生のひとつの卒業」と思う退団は、とむさんでも感じなかった。
それだけ、みりおくんはこの人生の宿命を真っ向から受け入れ、一つ一つ乗り越えてきたんだろう。

本当にこの言葉しか出ない。

ありがとう。
ありがとう、みりおくん。

あなたの生き方は、最高です!
あなたが宝塚に入ってくれて、花組に来てくれて本当に良かった!

捧げた分の時間を、ゆっくり、幸せの中で過ごされますように。

そしてまた、どこかでお会いできますように。