もっと詳しく

f:id:Nathannate:20211228234707j:plain

ダブル「ともひろ」に絡まれて可哀想。

町山智浩、日本が負けた事を強調したくてシャシャリ出る

町山智浩氏が、「日本が負けた」事を強調したくてシャシャリ出た結果。

このツイート、単に「会話の流れを読まずに業界が異なるものについて言及してきた」に留まらない味わいのあるものなので、順序を追ってみていきます。

「ガラパゴス」の用語法:表現内容=行為の成果物と競争力

さて、ここで重要なのは、各人が「ガラパゴス」という言葉をどういう意味・文脈で用いているのか?ということ。

  • 赤木⇒表現内容という行為の成果物と競争力という結果のどっちの話をしたいのかがよくわからない状態
  • 知念⇒表現内容の話としてツイート
  • 町山⇒競争力の話としてツイート

こういう会話の構造

その上で町山は業界分野もズレてるということ。

マンガアニメ業界の話というのがこの文脈では必須の要素。

家電と表現とでは、「独自性」に対する価値の捉え方に大きな差異がある。

「ガラパゴス」という比喩表現の原義と用語法と一般的な理解

「ガラパゴス」という比喩表現は多数の意味が生まれてきたが、世の中で多く言及されるようになった発端は携帯電話市場で「ガラケー」(「ガラパゴス携帯の略」)という言葉が出てから。

これは「日本独自の市場で特殊な多機能化が進んだフィーチャーホンなどの携帯電話を指す。また、マルチタッチ式のスマートホンに対し、従来からあるボタン式の携帯電話を指していうこともある。」という原義がベースにある。

一般的にはざっくり「スマホじゃない日本製の携帯電話」くらいに理解されている。

別分野でガラパゴスと言われる場合、「(ガラパゴス諸島の生物進化のように)周囲とは懸け離れた、独自の進化をすること。特に、IT技術やインフラ、サービスなどが国際規格とは違う方向で発達すること。日本の携帯電話など、高度で多機能であるが特殊化されていて世界市場では売りにくいものについていう。」とあり、成果物(その過程にある環境)の原義をベースとした競争力の意味もがあり得るものとして使われている。

「ガラケー」とは何の略か。また、意味も知りたい。 | レファレンス協同データベース

赤木智弘の「ガラパゴス」の用語法の混同と創作と押し付け

発端となった赤木氏のツイートは「ガラパゴス」の意味が表現内容なのか競争力なのか判然としない。ただ、『当の漫画家が「日本の多様性は特殊なんだ」とか言っている…「特殊で優位」はそのうち「特殊でガラパゴス」に変化する』としていることからは表現内容の意味で用いているとみられる。

『当の漫画家が「日本の多様性は特殊なんだ」…』というのは、以下のツイート
※当初稿では別ツイートを掲載して論じていたので訂正し、それに伴って記述内容も変化しています。

f:id:Nathannate:20211229120458p:plain

漫画家の弓月光氏の当該ツイートを引用リツイートしている別アカウントのツイートを単純リツイートし、それに対して「>RT」という形で言及し、「日本特殊論」と評しているのが分かります。

https://archive.is/XMxPy https://archive.is/twT0i https://archive.is/qjlgq

ところが、その後のツイートで以下のように用語法の混同が見られる。

これらのツイートで「ガラパゴス」の意味が都合よく使い分けられ、更に追加されたことに気づくだろうか?1つ目は競争力として論じているが、「ガラパゴス」の原義からすれば独自に進化した表現内容の変化を求めているように見える。2つ目のツイートは、「ガラパゴス」に「人工的な障壁を設けたもの」という意味を勝手に付加している。

弓月氏も引用元も知念氏も、誰も表現物に人工的な障壁を設けろ主張をしていない。単にポリコレ基準を押し付けられるのではなく多様性を保とう、と言っているだけ。

ガラパゴス諸島の生態系の成り立ちがそうであるということと、比喩表現としての「ガラパゴス」の意味内容とは別問題であり、イコールではない。比喩表現なんだから。

比喩表現について現実との乖離を殊更に論じることの愚かさについては以下で。

したがって、赤木氏は、一般的には流通していない「ガラパゴス」の理解を付加し、相手がそのような意味では用いていないものに対して『国に守られて「ガラパゴス上等」威張る環境に「表現の自由」があるとは、とても思えないけどな。』と、弱体化させた相手を論難しようとしているという一種のストローマン論法になっている。

おそらくだが、赤木氏としては「ガラパゴス化を避けろ」という主張は「独自進化をやめて国際的競争力を付けろ」ではなく単純に「日本国内だけでは無く国際的競争力を付けろ」と主張したいのだろうと推測する。ただ、それはもはや「ガラパゴス」の原義から遠く、単に国際競争力をつけろと言うべきで、第三者からすればそのように主張していると理解するには困難だろう。

町山智浩「日本は家電やスマホで国際市場の競争に負けた」唐突な日本dis

ということで、町山氏が『「ガラパゴス」=国際競争力の話』だと誤解する素地は言葉の用語法からして一応はあり得るのだが、競争力の意味として使う場合も大前提として独自の進化を遂げたモノが存在している上に、会話の中身を見ても単なる競争力のこととして論じているとは理解できないので、「ちゃんと会話見ろよ」ということになる。

そして繰り返すが、創作物だからこそ「独自性」を論じる意味が大きく、大量生産され規格化されることが前提の家電やスマホとは議論の性質が変質するものです。

それをいちいち単なる国際競争力の話に引き付け、「日本の負け」を強調するのは、どういう意図なんだろうか?

マンガ・アニメの競争力=映画の興行収入ランキングの話をする者が居ました。確かに世界の興行収入TOP200に日本の映画は入っていないが…

  1. 表現内容⇒質だけでなく日本的な侘び寂びが理解されるか
  2. 販路開拓
  3. 言語障壁

たとえばこのように、興行収入に結び付くあり得る原因は多数あるわけです。

赤木・町山の論も「表現内容の質⇒競争力の高さ」という単純な図で考えてるような言説。「そんなことは言ってない」とか言いそうだが、「ガラパゴス」を否定している以上、そういう書き方になっている。

そうではないというならもっとまじめに分析して上掲のような原因を掘り下げるべき。

かれらには以下のような視点がまったくないのだから。

※追記:28日に赤木氏はビジネス的な話をし始めました

世界的な興行収入で日本の映画が上位にランクインできてないのは事実。

ただし、上位はほぼアメリカの映画で、+αで極一部のイギリス・フランス映画などがあるにすぎない状況を「負けてる」と考えるのは野心家であるとも言える。

もっとも、これをやたらと強調してるのは単なる日本disですよねと。

それにしても、町山氏は進撃の巨人の実写映画の脚本を書いてたんですが、「興行収入はどうでしたか?」と聞かれたらどうするんでしょうか?

以上:はてなブックマーク・ブログ・note等でご紹介頂けると嬉しいです。