「第5波」でもテレワーク客や在日外国人客が後押しに
今年8月、箱根にある実家を改装した民泊「ヤマグチハウス アネックス」と「ヤマグチハウス ヴィラ大平荘」は開業以来の最高売上を記録した。例年だと予約が鈍る9月になっても、テレワークのゲストや在日外国人の連泊で好調は続いた。
8月と言えば、新型コロナの第5波のさなか。だからこそと言うべきか、誰とも接触せず滞在できる一軒家民泊は、安心できる宿泊施設として選ばれたのだろう。
だが、訪日外国人が増えたインバウンドブームの最中に開業した私たちにとって、これまでの道のりは、決して順風満帆だった訳ではない。
1軒目の「ヤマグチハウス アネックス」を開業したのは2019年7月のことだ。離れとして建てられた温泉付きの昭和レトロな一軒家。宿泊客はインバウンドが7割を占め、好調に滑り出したが、1年もしないうちにコロナ禍に見舞われ、いったんは予約がすべて消えた。だが、最初の緊急事態宣言さなかのGW直前、庭で楽しめるバーベキューコンロを導入したことをきっかけに予約が持ち直した。客層は日本人のファミリーや若者のグループにシフトした。
2020年7月には2軒目の「ヤマグチハウス ヴィラ大平荘」を開業。母屋の洋館の増築部分である数寄屋風和室のベッドルームに、押し入れを改装したミニキッチンからアクセスする温泉露天風呂付き。トリッキーな動線を心配したが、本格的な和のしつらえが受けて、コロナ禍にありながら、予約の約3割を在日外国人が占めた。カップル向きのこぢんまりした規模感もよかったのかもしれない。
商売経験ナシの夫婦が民泊経営
私が夫と民泊を開業したきっかけは、『勝てる民泊 ウィズコロナの一軒家宿』にもまとめたとおり、2018年10月に実家の離れが「もう一夏越したら腐ってしまう」と告げられたことだ。旅やホテルを主な取材対象としてきた私は、世界中の宿を泊まり歩いてきたが、宿を運営した経験はない。そんな私を後押ししたのが、同年6月に施行された民泊新法(住宅宿泊事業法)に興味を持った夫だった。会社員だった夫も商売の経験はなかった。
更地にしても草木も生えるし、固定資産税もかかる。一円も利益を生まない土地を管理するのは、ムナシイ。そこで開業を決心したのだが、新たな業態ゆえの想定外が多かった。私は仕事柄、宿泊業の経営に詳しい知人も多かったが、民泊の実情を知る人は全く周囲にいなかったのである。
開業にあたって、まず苦労したのが運営代行業者、すなわち住宅宿泊事業者を選ぶことだった。家主居住型の民泊は、オーナーだけで運営することもできるが、家主非居住型の民泊は、無人のため、必ず運営代行業者を決めなければいけない。
壁にぶちあたった理由のひとつが、実は箱根というロケーションだった。
たとえば、清掃である。自前の清掃業者を持つ大手の民泊運営代行業者は、ほとんどが都市型で、箱根は対象区域外だった。箱根のホテルや旅館を相手にする大手業者は、効率が悪いからだろう、民泊の清掃は引き受けない。その後も、光回線が使えないなど、温泉地であるメリットの反面、数々の想定外のデメリットにぶち当たった。
開業が迫るなか、ネット検索で巡り会ったのが、若き女性社長がきりもりする株式会社GRACES(グレーシス)という運営代行業者だった。箱根での運営経験があり、清掃会社の手配もできたこと、社長自らが担当者となって動いてくれる安心感、こちらのニーズにあわせた臨機応変な対応が決めた理由である。
当時、民泊は「手っ取り早く儲かる事業」と考えられていた。そのため、面倒くさいことは業者に任せて、儲かれば良いというオーナーが主流であり、それに対応したサービスを売りにする業者が大半だった。
所有する不動産を生かす道として民泊を選んだ私たちは、当時の市場では異端だったのかもしれない。
改装費用を投入したのだから、もちろん儲かってもらわなければ困るが、祖父が建て、父が継承し守った家に再び命を吹き込みたいという想いが優先していた。長年ジャーナリストとして、宿泊産業を取材してきた経験もあり、代行業者任せにしたくなかった。そのために、自分たちが手間暇かけることは惜しまない。株式会社グレーシスの社長、伊藤愛美さんは、その理想に同意してくれた。そのことが、後に「リモートホスピタリティ」の気づきにつながることになる。
宿泊予約担当は台湾からテレワーク
民泊の運営を実際に始めて一番驚いたのが、グループLINE上で全ての業務を管理することだった。
忘れもしない、最初の予約がAirbnb経由で入ってきた日のこと。それをLINE上で知らせてくれたのがセシリア・ウーさんだった。グレーシスの在宅ワーカーで、中国語と英語と日本語を流暢に操る。日本のホテルで勤務経験があり、今は台湾で3人の子育て中。私たちはもとより、雇い主の伊藤さんもウーさんとリアルで会ったことがないと知って、二度驚くことになる。
民泊が未来志向のビジネスであることを実感した瞬間だった。
ウーさんは、遠い台北にいて、箱根の物件には来たこともない。それでも、オーナーである私たちがフォローすることで、ゲストに満足してもらうことができる。
それを実感したのが、プロポーズをしたいというカップルの予約が入った時だった。ついては、どこか近くにケーキ屋さんはないかと言う。だが、めぼしい店は思い浮かばない。ゲストの交通手段が車でないことも考えて、知人からケーキを宅配してくれる人を紹介してもらい、ゲストの好みも聞いて手配した。
この経験を通して、私は「リモートホスピタリティ」という言葉に思い至った。
予約からゲストとのやりとりまで、すべてがオンラインの家主非居住型民泊。だが、ゲストと顔を合わせなくても、ホスピタリティは実現できると気づいたのだ。
さらに面白いのは、Airbnbのサイト上では、「マナミ」というホストがケーキを発注してくれたとゲストには映ることだ。「マナミ」とはグレーシスの社長、伊藤愛美さん。写真も着物を着て芸者風メークを施した彼女自身だ。しかし実際に応対するのは主にウーさんで、背後には黒子である私たちオーナーがいる。言うならば「マナミ」はアバターのようなものなのだ。
インバウンドが消えた後、外国人客のお得意様となったのは、神奈川県内の米軍基地からのゲストだった。2軒目の「ヤマグチハウス ヴィラ大平荘」は、もともと昭和20年代頃、当時、GHQ(連合国軍総司令部)に接収されていた宮ノ下の富士屋ホテルの経営者だった祖父が、米軍のゲストをもてなすために増築した日本間だ。数奇な運命の巡り合わせを感じていた。
祖父と違うのは、私たちはゲストと顔を合わせないことだ。直接、笑顔を見たり、言葉をかけたりすることはできない。サービス業の経験者だったら、そのことにフラストレーションを感じたかもしれない。でも、幸か不幸か経験がないので、黒子に徹することに違和感がなかった。一方で、ホテル業に携わってきた一族の本能として、ゲストに喜んでもらいたいという思いは強かった。それが結果として、ゲストからのリクエストやレビューを通して、顔を合わせることなくゲストのニーズを満たす「リモートホスピタリティ」の実践につながったのかもしれない。
そして、最大の想定外だったコロナ禍を追い風にすることができた。
「派遣シェフ」で得た新たな手ごたえ
2020年末にはもうひとつ大きな事件があった。Airbnbの手数料変更である。私たちの民泊の予約はAirbnbとBooking.comという外資系のOTA(Online Travel Agent)に頼っていた。Booking.comに比べAirbnbは手数料が3%と安かったのが、一気に15%になると告知された。手数料アップは世界中で実施され、各地でオーナーの悲鳴が上がった。コロナ禍で需要が減ったことによるAirbnbの経営方針の転換だったのだろう。
この状況を受けて、私たちは自社サイトを立ち上げる決心をする。自社サイトであれば、手数料をとられることもない。
2021年、「ヤマグチハウス アネックス」が開業2年目となる夏を前に、さらなる計画を実行に移した。まずは、夫の発案で庭に足湯を作った。オーバーフローしていた温泉を活用したものだ。そして「ヤマグチハウス ヴィラ大平荘」の拡張計画である。
離れを1軒目の民泊、母屋の増築部分を2軒目の民泊として開業した私たちだが、そもそもの母屋は、1930(昭和5)年竣工の洋館である。民泊開業前の2015年に改装して日帰りスパとして運営している。実家を活用した最初の事業だったが、コロナ禍以降予約が低調で、わが家で最も魅力的な空間であるにもかかわらず、あまり活用できていなかった。
そこで、洋館の2階にあるベッドルームを改装して、「ヴィラ大平荘」の日本間と合わせて4人まで泊まれるようにした。洋館を含む予約があった時には、1階のリビングルームと書斎も開放することに決めた。
もうひとつ、新しい客層を開拓するために始めたのが派遣シェフのサービスだ。民泊は、基本的に食事のサービスがない。そのため、キッチンや調理器具を備えている。民泊を使い慣れている人たちは、それを好ましいと思って民泊を選ぶのだが、年配の日本人、特に女性客は旅先で料理したがらない傾向がある。何か方法はないかと考えていた。
自宅などにシェフが出張して料理を提供する派遣シェフは、外食に懸念のあるコロナ禍において、急速に伸びているサービス形態のひとつだ。レストラン営業ではなく、ケータリングの延長線上。民泊自体は住宅なので、お酒の持ち込みも自由だ。コロナ禍の緊急事態宣言下にあってもお酒を楽しみながら、ゆっくりコース料理を楽しんでもらえる。小田原在住のフランス料理シェフとご縁ができて、ようやく実現できた。
派遣シェフの利用に限って、これまで開放していなかったダイニングルームで夕食をサービスすることに決めた。かつて実家で使っていた食器やグラスも使うことで、レストランとは違う雰囲気を楽しんでもらう。クーラーボックスに用意した朝食のオプションもつけることで、ついに念願の1泊2食付きが可能になった。
派遣シェフのサービスを始めて、私たちの「リモートホスピタリティ」は一歩先の領域に入った気がしている。無人で運営する非居住型民泊において、シェフは唯一のリアルとしてゲストとつながる。民泊におけるシェフ派遣サービスは、「リモートホスピタリティ」とリアルのハイブリッドなのだ。
夏休み、シルバーウィークの予約が好調だった背景には、派遣シェフという付加価値が加わったこともあったのかもしれない。東京の外資系ホテルの鉄板焼きレストランでの経験もあるシェフは、ゲストとのコミュニケーションが上手く、外国人客の対応もそつがない。リピーターも獲得できそうな感触をつかんでいる。
秋から年末に向けて、シェフのバーベキューやクリスマスディナーなど、攻めの新商品も開発中だ。ゲストからのリクエストやレビューに可能な限り応えていくのと同時に、ただ待っているのではなく、こちらからも魅力的なプランを仕掛けていく。
日々創意工夫を重ねるのは、ゲストに喜んでもらうため。だが、ゲストの笑顔を直接見ることにとらわれないのが「リモートホスピタリティ」の心意気だ。民泊ならではの自由な発想で、宿泊施設の新しい可能性を拓いていければと思っている。
山口由美(やまぐち・ゆみ)
1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。『アマン伝説 アジアンリゾート誕生秘話』(光文社)、『考える旅人 世界のホテルをめぐって』(産業編集センター)、『昭和の品格 クラシックホテルの秘密』(新潮社)、『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』(光文社)、『箱根富士屋ホテル物語』(小学館)など著書多数。最新刊は『勝てる民泊 ウィズコロナの一軒家宿』(新潮社)。山口さんが経営する民泊の自社サイト→https://hakoneyamaguchihouse.com/