「トナカイは、私たちが生きている意味」
11月5日、ロンドン―ストックホルム便では不織布マスクを強制したスカンジナビア航空だったが、国内線は規制がなくマスク姿の乗客はほとんどいなかった。そもそも乗り換えのストックホルム・アーランダ空港でもほとんどいなかった。街なかはほぼフルオープンのロンドンでも空港の中はマスク着用義務があるのに。さすがコロナ対策で独自路線を取ってきたスウェーデンだ。1時間強のフライトで到着した中部のオーレ・エステルスンド空港はグーグルマップで見る限りストゥール湖に浮かぶような場所に位置しているが、既に日没から数時間経っていて景色は何も見えなかった。
空港から車で北上、オーケルションという村のロッジに投宿し、翌朝、まだ暗い7時前に宿を出てさらに北上する。時間とともに少しだけ雪化粧をした森と点在する湖が薄明りの中で徐々に浮かび上がってくる。目指すのはヴァルショビン。ノルウェー国境まであと5キロの小さな村だ。そこに取材相手のマリアンヌ・グロイクがいる。
マリアンヌは1966年生まれ、トナカイ放牧で生きる北欧の先住民サーミだ。スコットランドのグラスゴーでは気候変動関連の国連の会議COP26が開催中でロンドン支局的にはモロに担当なのだが、「気候変動は会議室で起きてるんじゃねえ」というわけで(そこまでイキり立っていたわけではないが)気候変動の影響を受けている人たちの声を聞きに来たのだった。彼女たちにとって気候変動とは何で、COP26をどう見ているのだろうか。
いかにも北欧な湖畔にあるヴァルショビン唯一のこぢんまりとした商店から山のほうに折れる道に入ってしばらく行くと、左側にプロペラが回転しているヘリコプターと、その脇に10メートルほどの高さの細い円柱状の構造物が見えてきた。その先の突き当りの伝統的な木造の小屋の前に車が何台か止まっている。ここだ。
小屋に入ると既にマリアンヌが同じ“サーミ村”の人たち数人と集まっていた。“村”と言っても私たちが思い浮かべるような定住の共同体ではなく、トナカイ放牧の協同組合、というイメージだ。スウェーデンではトナカイ放牧をするためには“村”に入らねばならない。現在、スウェーデンに2万人いるとされるサーミの大部分は他の仕事についていて、トナカイ放牧で生計を立てているのは10%程度だとされている。
まだ会って10分ほどしか経っていなかったが、サーミの人たちにとってトナカイって何ですか、と、あえて大上段な質問を投げてみる。
マリアンヌはちょっと面食らった様子を見せ、「数時間かかるけどいい?」と冗談めかして笑った後、「トナカイは、生活の一部であり、私たちが生きている意味でもあります」「トナカイに何かが起きれば、それは私たちに起きているのと同じです」と答えてくれた。
エサを探せなくなるトナカイたち
今の時期は山に放牧しているトナカイをいったん集めて一部は食肉として販売・利用するために殺し、それ以外は冬の放牧地へと移動させる。彼らが集まっているのも、天気、雪の積もり具合などを見極めて、今日どこまでトナカイの群れを移動させるのか、などを話し合うためだった。
既に小屋のそばの囲いにはトナカイたちが一部移動してきている。マリアンヌのエサやりに同行させてもらった。先ほど見た高さ10メートルほどの円柱形の構造物にはエサのペレットが充填されていて、マリアンヌが6輪バギーの後ろに取り付けたカートを円柱の下に差し入れると、同じ“村”のブリッタ(28)が容器を操作してペレットを注ぎ入れる。山盛りだ。
そのまま6輪バギーに乗せてもらい囲いの中に入っていくと数十頭のトナカイたちが列をなしてついてくる。壮観だ。囲いの中には餌場が点在させてあって、マリアンヌはその一つ一つを回って横長のプラスチック製の桶にペレットを流し込んでいく。
バギーから降りてみた。足元の表面は雪で覆われているが、踏み込むとその下の土はぬかるんでいた。マリアンヌはこれこそが気候変動の影響なのだと言う。
「以前は秋にまず土が凍り、それから雪が降り始めました。今はまだ温かい土にベタ雪が降り、雨が降り、また雪が降って……」
「昔もそういう冬がなかったわけではありません。でもここ5年ほどはほぼ毎年そんな感じなんです」
COP26では「地球の平均気温の上昇を産業革命前と比べて1.5度に抑える」いわゆる1.5度目標が大きな議題だったが、スウェーデンの気象機関によれば既にスウェーデンでは平均気温が1.7度上昇している。特に冬の期間の上昇が顕著だ。
そしてこの変化がトナカイの食べ物に影響を与えている。
我々が今いるこの囲いの中ではエサやりをするが、広大な大地で放牧する際にはトナカイたちは自分たちでエサを探して食べる。そしてクリスマスから先、トナカイたちの主食になるのが地衣類だ。トナカイが好むのは苔の一種で、白く、ミニチュアの木のような形をしている。凍った土の上に生えた地衣類の上にパウダースノーが積もっていれば、トナカイたちは香りを嗅ぎつけ鼻先で雪をかき分けて食べることができる。ところがベタ雪や雨が降った後、夜間に気温が下がると苔と雪の表面との間に氷の層ができてしまうケースがある。
「そうなるとトナカイたちが嗅ぎ当てられなかったり、鼻先で掘ることができなくなったりしてしまうんです」
地衣類自体も、雨やベタ雪で濡れた後に凍ると内部に氷がたくさん含まれることになり、トナカイが食べない、あるいは食べて体調を崩してしまう。
「凍った地衣類を食べなくてもいいときはトナカイたちは食べません。でもお腹が減ってしょうがないときは食べるんです。で、体調を崩してしまう」
さらにトナカイの天敵であるクズリ、オオヤマネコ、オオカミなどはトナカイより体重が軽いため、地表が氷とぬかるんだ雪になると逃げるトナカイに不利、という面もあるのだという。
こうした気候変動がもたらす変化に対応するために、サーミの人たちは代々受け継がれてきた放牧の場所や移動タイミングの変更を余儀なくされている。以前はまだトナカイを山で放牧できていた時期でも、山からおろしてエサをやらなければならない。放牧のルートは複雑化し、ヘリコプターで追い立てる際にも移動距離が増えてそのぶん高額な燃料費がかさむ。
風力発電所で脅かされる「手付かずの自然」
そして気候変動は、間接的にもトナカイ放牧にネガティブな影響を与えている。
スウェーデンも脱炭素社会に向けて風力発電を増やした結果、トナカイの放牧ルートにも各所でウィンドファームが建設された。すると、もともと臆病な動物であるトナカイがその周辺に寄り付かなくなった。
風力発電機が出す音が原因だとマリアンヌは見ているが、一方で音が聞こえなくても巨大な羽根が回っている光景自体をトナカイが嫌う、という研究結果も出ている。
車で1時間ほど離れた場所にあるウィンドファーム(集合型風力発電所)の一つを見に行った。森に覆われた丘に、羽根の最上部まで180メートルある風力発電機が3キロほどに渡って23基聳え立っている。さらに近くまで行くと継続的な低い音と、羽根が風を切る音の両方が聞こえてくる。マリアンヌと同じ“村”のブリッタはプロペラが風向きによって方角を変える時にはさらに別の音がすると言っていた。周囲はクリスマスツリーのような木の林で、発電機がなければ静謐な場所なのだろうと想像する。
電力会社はトナカイ放牧への影響を認め、“サーミ村”に補償をしている。マリアンヌたちが使っていた円柱状のエサ保管器も、その一環で提供されたものだ。そばには水力発電所ができたことによる補償で建てられたトナカイ仕分けのための円形の建物もあった。
「本当は補償なんていらないから、今まで通りの場所で放牧ができたほうがよかった」とマリアンヌは言う。
同じくサーミが暮らすノルウェーでは10月、151基の発電機がある風力発電所がトナカイ放牧の権利を侵害している、として免許が無効にされた。一方でフィンランドではトナカイ放牧地の下に、これまた気候変動対策において重要な電気自動車のバッテリーにも使われるニッケルやコバルトなどの鉱物資源が豊富に埋まっているとの調査結果が出され、サーミたちが懸念している。
「“グリーン・エコノミー”のために、これまで手付かずの自然だったところに、いろいろ作るなんて……」
「工業化で生じた問題(気候変動)に新たな工業で対応するなんて、どうかしています」
今COP26に世界の代表たちが集まって話し合っていますが、彼らに言いたいことはありますか? と聞くと、こう答えた。
「もっと先住民たちの話を聞くべきだと思います。私たちの生き方が、最もサステナブルなんですから」
今回も含めCOPの成果文書には「先住民の権利を尊重する」「先住民の知恵と文化を気候変動対応に活かす」といった趣旨の文言が入ってはいるが、少なくともマリアンヌはそれが十分に果たされているとは感じていないようだった。
伝統の暮らしと差別の歴史
マリアンヌの家を訪ねた。夫のアンタリスがトナカイのツノを使って作ったナイフやトナカイの革を使って作ったカップを見せてくれた。自作だ。なお、腰に提げたナイフはサーミにとって万能の工具。切ったり、ハンマーのようにして叩いたり、様々な使い方がある。
トナカイのスジも乾かして「糸」として利用する。濡らすと普通の糸のように自由に曲げられるが、乾くとその時の形を維持する。その特性を活かすのだ。
壁にトナカイの皮で作った巨大な靴のような、あるいはミニチュアのボートのような形の工芸品がかかっていた。あれは何ですか、と聞くと、アンタリスが壁から外してきて見せてくれた。
「これに赤ちゃんを入れるんですよ。暖かくていいんです」
マリアンヌが横からつけ加える。「そのまま抱えて授乳もできるんですよ」
中には小さな毛皮も入っていた。
「鷲に殺された赤ちゃんトナカイの毛皮です」
トナカイの脚の骨の一部で作った疑似ナイフも入っている。まさに生まれたときからその暮らしはトナカイとともにあるのだ。
クルーのカメラ機器に興味津々な孫のオスカー(8)も赤ちゃんの時はこの「入れ物」に入っていたそうだ。訪れたのが週末だったので、オスカーもトナカイのエサになる干し草を餌場に置くなどして家業を手伝っていた。
「将来はおばあちゃんみたいにトナカイ放牧の仕事をしたい?」と聞くと、「うん!」と答える。
彼の代にはトナカイ放牧はどんな形になっているのだろうか。
そう問うとマリアンヌは「わかりません」とため息交じりに応じた。
「伝統の暮らしを、これ以上変えたくないんですけどね……」
サーミは世界の多くの先住民と同様、様々な差別にあってきた。日本でも公開されたスウェーデン・ノルウェー・デンマークの合作映画『サーミの血』(アマンダ・シェーネル監督)でも描かれているように、かつては人類学的な“研究対象”となり、スウェーデン人の学者から頭蓋骨の大きさを測られ、写真を撮られた。まるで標本のように。子供たちは寄宿舎学校でスウェーデン語を教えられつつ、一般のスウェーデン人の子供たちよりもずっと内容の薄い教育を受けさせられた。「劣った人種」と見られていたからだ。その一方で伝統のトナカイ放牧をしてきた大地は、開発の名の下に作られた道路・鉄道・鉱山・農地などで寸断され、工業化の結果である気候変動にさらされ、その気候変動対策の一環として作られた風力発電所にも悪影響を受けている。自分たちの権利を主張するサーミに対して反発、時には憎悪を向ける人々もいる。トナカイ放牧をするサーミに対して「特権意識を持っている」と反感を抱くサーミたちもいる。
大地を進む
翌日、8キロ先までトナカイの群れを追い立てて来ている“村”の人たちを手伝いに行く、というマリアンヌと娘婿のニルスに同行した。6輪バギーで起伏のある大地を進む。ぬかるんだ雪や小川を越えて、まるで小規模なジェットコースターが永遠に続いているような感覚に陥る。必死にバギーの手すりに摑まる。そうしていないと簡単に投げ出されそうになる。丘の上のほうにいくと雪嵐気味になり視界が白一色になった。寒い。指の感覚がウィンドプルーフの手袋の中で徐々に失われていく。
トナカイのための囲いは我々が最初に見た小屋のそばだけにあるのではなく、かなり広い範囲に張り巡らされていた。杭に針金状のフェンスをくくりつけたシンプルなもので、ところどころ杭が倒れている。それをマリアンヌとニルスが直すのを手伝っていると、どこからともなく“村”のメンバーがオフロードバイクで現れ、短く言葉を交わしていく。時折上空をトナカイを追い立てるためのヘリコプターが通る。
「どうだ!きれいだろ!」悪天候の中でも見晴らしのいい丘の上を疾走しながらニルスが叫んだ。必死に摑まりながら「本当だね!」と叫び返す。
トナカイの群れは遠くの丘の斜面に見えたが、途中、マリアンヌのバギーのタイヤのホイールが外れかかって修理に時間を取られたこともあり、まともに撮影できなかった。それでも彼らがずっと親しんできた大地を体で感じられたことで妙な納得感と充実感があった。小屋を出発したのは午前11時過ぎ、戻ってきたときには午後3時を回っていた。