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日銀は、東日本大震災が起きた2011年前半の金融政策決定会合の議事録を公開しました。
地震発生から3日後の会合では追加の金融緩和に踏み切りましたが、被害の全容がつかめない中、出席した委員からは経済の悪化を未然に防ぐ強力な措置が必要だという意見が相次ぎ、対応を決めていたことがうかがえます。

日銀は30日、2011年の1月から6月までに開いた金融政策決定会合の議事録を公開しました。

3月11日に東日本大震災が発生したことを受けて、日銀は土日を挟んだ14日、通常は2日間行われる会合を急きょ1日に短縮して開催し、対応を議論しました。

この時点では被害の全容がつかめないうえ電力不足も起きていて、出席した委員からは「国民全体の不安感、マインドの悪化を何としても予防的に食い止めることが重要だ」といった意見が出され、経済の悪化を未然に防ぐため強力な措置を迅速に打ち出すべきだという意見が相次ぎました。

金融緩和の方法をめぐっても、委員から「十分な安心感を醸成するため、小出しは絶対に避けるべきだ」といった指摘が出て、潤沢な資金を市場に供給することが必要だという考えで一致しました。

こうした議論を踏まえて当時の白川方明総裁は「しっかり説明する周到な情報発信が必要だ」などと述べ、ゼロ金利政策を維持するとともに、前の年に創設した基金を通じて国債や社債などを買い入れる規模を35兆円から40兆円に拡充する追加の金融緩和に踏み切りました。

ただ、震災のあと日本経済は、デフレだけでなく電力不足や歴史的な円高ドル安にも見舞われ、日銀にとって難しい対応を迫られる場面が続きました。