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<仲間には聞こえない声で呼び掛けを続ける「52ヘルツのクジラ」とその正体を探究する科学者たちの物語> クジラの「歌」は震えが来るほど感動的で、かつ最高に神秘的なコミュニケーションの手段だ。でも、その歌が誰にも届かないとしたら? ジュシュア・ゼマン監督の新作ドキュメンタリー『最高に孤独なクジラ「52」を探して(The Loneliest Whale: the Search for 52)』は、独特の周波数(たぶんほかのクジラには聞き取れない)で歌う一頭のクジラと、その謎を追った科学者たちの物語だ(英語版がウェブ公開中)。 始まりは1989年、冷戦期に米海軍が極秘で運用していた海中探査システムが太平洋で、正体不明の音源を検知した。周波数は52ヘルツ。敵の潜水艦か? いや、そうは思えなかった。 冷戦終結後の92年、この録音データの一部は機密解除となり、米ウッズ・ホール海洋研究所のウィリアム・ワトキンスの関心を呼んだ。分析の結果、この特異な音はクジラの声だと彼は断定した。 クジラの歌はコミュニケーションの手段と考えられているが、この52ヘルツの呼び掛けに応える声は過去に一度も記録されていなかった。ワトキンスは考えた。きっとこのクジラは仲間の誰とも交信できず、孤独に生きているに違いない。未知の種の最後の一頭か、突然変異で誕生したばかりの新種か、あるいはシロナガスクジラと何かの悲しい雑種なのだろうか。 ワトキンスは答えを知ることなく2004年に死去したが、その後も「52ヘルツのクジラ」の謎は世界中の人々を魅了し続けている。インターネット常時接続のサイバー空間に漂う奇妙な孤独感を、このクジラの運命に重ね合わせる人が少なからずいるからだ。 映画がたどる人間とクジラの歴史 映画は人間とクジラの関係の変遷もたどる。鯨油を求める西洋人が残忍な捕鯨を続けていた頃から、クジラの歌の素晴らしさに気付いて捕鯨反対・資源保護に転じた時代を経て、人類が地球環境に及ぼす深刻な影響に気付き始めた現代までを淡々と振り返る。 果たして「52ヘルツのクジラ」は見つかるのか。本誌アリストス・ジョージャウが監督のゼマンに話を聞いた。 ――この映画を撮ろうと思ったのはなぜ? 犯罪実録ものばかり撮っていて、そろそろ違うジャンルもやりたかった。それに恋人と別れたばかりで、すごく寂しかった。そんなときに、このクジラの記事を読んだんだ。それで、いろんな人に聞いてみた。「知ってるかい、いくら呼び掛けても返事をもらえず、寂しく大海原を泳いでいるクジラの話を?」 そうしたら、反応がすごかった。鳥肌が立つと言った人もいる。私の手を握って離さない人もいた。それで、これは撮るしかないと思った。 ===== ゼマン監督 LARRY BUSACCA/GETTY IMAGES たった一人で、誰にも知られず死んでいくのは耐えられないと思った人もいるよね。いずれにせよ、私は決めた。クジラと私たちの関係を問い詰め、それがどう変わってきたか、そして今なぜ私たちがこんなにクジラを愛するのかを探ってやろうと。 クジラの歌については分からないことだらけだ。そうなると犯罪実録ものを手掛けてきた私の本能に火が付く。よし、そこに伝説のクジラがいるならば探してやろう。大海原にミステリーがあるなら、そいつを解き明かそう。まあ、そう思ったわけだ。 ちなみに地上の私たちは視覚に頼って生きているが、海中の生物にとっては聴覚が全て。いくら目を凝らしても海面には何もいないが、海中には多彩な生き物がいる。彼らは、光ではなく音を頼りに生きている。そうだとすれば、クジラのように知的な動物は、音に対して何か感情的な反応をしている可能性もある。 ――この映画を見た人には何を期待する? 第1に、クジラの歌がどんなに素晴らしいかを知ってほしい。生物音響学者のロジャー・ペインがアルバム『ザトウクジラの歌』を出したのは1970年だが、当時の人たちはその神秘の歌声に心を奪われ、こんな「天使の歌声」を持つ動物を殺してはいけないと思った。それが今の地球環境保護の運動につながっている。 人間は地球の支配者ではないと、いま一度みんなで確認すべきだ。私たちは最強の種でも、唯一の種でもない。膨大な数の種の1つにすぎない。 あのクジラをやたら擬人化して、大変な孤独を感じていると決め付けるのに問題があるのは承知している。でも、今は海と海の生き物に共感し、守ってやることが必要だと思う。今ならまだ守れるし、世界を変えられる。 この映画のテーマは「聞く」ということだ。私たちは互いに耳を傾け、互いにつながらなければいけない。だから海の声、自然の声に耳を傾けよう。掘り返して見つけ出したい謎もたくさんあるけれど、今は一休みして、自然の声に耳を傾けるのがいい。 ――あのクジラが本当に「孤独」を感じていたかどうか、科学者の見解は割れている。いろんな議論があるし、それが当然だと思う。 70年代には、誰もが直感的に、動物にも感情はあると信じていた。でも今は、それを裏付ける科学的な証拠が積み上げられている。群れの1頭が死ぬと、仲間のクジラが悲しそうな行動を見せるという報告もある。 でも、「52ヘルツのクジラ」が孤独をどう感じていたかは知る由もない。そもそも孤独とは何か。悲しいことか、崇高なことか。この映画が、そんなことを考えるきっかけになればいいと思う。