5月16日に発行された「東北再興」第108号では、私が最近足を運んだ施設について取り上げてみた。何のことはない、GW中に遠くに行けないので近くをウロウロしていただけのことである。ただ、それぞれの施設にそれぞれの個性があるのが垣間見えて興味深かった。
以下がその全文である。記事中の画像はすべて「東北DC観光素材集」のものである。
それぞれの地域の拠点施設を巡ってみて
今年も出された共同メッセージ
ゴールデンウィークを前に、今年も東北六県と新潟県の知事、並びに仙台市長と新潟市長の連名で「東北・新潟共同メッセージ~心をひとつに故郷を守ろう~」が出された。①県境をまたぐ移動の自粛等、②基本的な感染防止対策の徹底、を呼び掛けるものである。
①については、緊急事態宣言対象都府県との往来を自粛する、まん延防止等重点措置区域との往来についても極力控える、②については、マスクの正しい着用、こまめな手洗い、消毒、「三密」の回避などの基本的な感染予防対策の徹底、飲食店を利用する場合は感染防止対策が講じられている店を利用する、多人数や長時間に及ぶ会食の自粛、会話の際のマスク着用の徹底などが要請されている。
そのようなわけで、今年のゴールデンウィークは改めて近場に足を運んでみた。行く先々でそれぞれ個性的な交流拠点があるのが印象的であった。それらのいくつかについて紹介してみたい。
「道の駅かくだ」
角田市は宮城県の内陸南部、阿武隈川流域にある人口約28,000人の市である。大豆や梅の栽培が盛んで、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の研究施設、角田宇宙センターもある。8つが現存する平安時代の阿弥陀堂のうちの一つ、高蔵寺阿弥陀堂があることでも知られる。ここにある「道の駅かくだ」は2018年にできた新しい道の駅であるが、「米・豆・梅・夢・姫のまち 角田の新交流拠点」と銘打ち、建物内に農産加工室を併設している。角田産の農産物や加工品が購入でき、飲食もできる。
この道の駅かくだが担う7つの役割として、①快適な休憩と道路および地域情報を発信する場、②市民が集い、交流する場、③多くの観光客等が訪れ、市内外の人々が交流する場、④地域の活性化を広げる場、⑤地場産業の振興に寄与する場、⑥安定した賑わいが続く活動の場、⑦地域の安心を担う防災の拠点となる場、が挙げられている。地域情報の発信や人々の交流、地域の活性化や地場産業の振興は道の駅の役割としてはもちろんのことだが、⑦の防災の拠点となる場というのは、東日本大震災を踏まえてのことである。あの震災の際には東北各地の道の駅が自衛隊や消防の後方支援拠点となった。ライフラインとしての機能も果たしてきた。その役割を最初から織り込んであるわけである。
足を運んだ当日はキッチンカーが何台も並び、屋外で地元農産品が販売されるなど活気のある様子であった。
「丸森物産いちば八雄館」と「いなか道の駅やしまや」
丸森町はその角田市の南隣にある、やはり阿武隈川流域の人口約12,000人の町である。和紙やへそ大根、あんぽ柿、たけのこなどの物産で知られる。かつての地元の豪商の屋敷や蔵が「蔵の郷土館 齋理屋敷」として公開されている。
その齋理屋敷の向かいにある「丸森物産いちば八雄館」は震災直後の2011年7月にオープンした地場産品直売所で、丸森町で採れた野菜、農産加工品、木工・手芸・工芸品などが購入できる。ホールスペースも併設されており、各種展示やサークル活動、休憩所としても利用されている。
丸森町にはもう一軒、「いなか道の駅やしまや」がある。丸森町の中心部からさらに阿武隈川の上流におよそ10km遡った耕野地区にある。元は親子三代で切り盛りする小さな商店だったが、ここも2011年に「ミニ道の駅」をコンセプトにリニューアルオープンした。店先には川のせせらぎが聞こえるウッドデッキを備え、ちょうど今の季節は名産のたけのこを求めて県内外から客が訪れていた。店の一階は丸森町の特産品はじめ、新鮮野菜や豆、乾物などが並ぶ直売所で、客同士の交流を促すためにお茶が飲める休憩所もある。2階はこの地区特産の「ころ柿」(干し柿)作りに欠かせない柿ばせ(柿干し場)がある。春はたけのこ掘り体験、秋はこのころ柿作り体験など、季節のイベントも積極的に開催している。
丸森町は令和元年東日本台風で大きな被害を受けたが、今回足を運んでみて、その爪痕を感じさせるものは見当たらず、順調に復興を遂げてきたことが感じられた。震災の時に相次いで交流の場をつくったその姿勢が今回も活きたと言えるかもしれない。
南三陸町は宮城県の北東部、その名の通り三陸海岸南部にある人口約11,000人の町である。東日本大震災はもちろん、1960年のチリ地震津波でも、町は大きな被害を受けていたが、その度に復興を遂げてきた。ちなみに、チリ地震津波をきっかけに共に大きな自然災害を経験した地ということでチリとの交流が始まった南三陸町にはイースター島の石を使い、イースター島の彫刻師が彫った本物のモアイ像が人々を見守っている。
「南三陸さんさん商店街」は、震災の翌年2012年2月に「サンサンと輝く太陽のように、笑顔とパワーに満ちた南三陸の商店街にしたい」という願いを込めて仮設商店街としてオープンし、その5年後の2017年3月に本設の商店街としてオープンした。
地域住民の生活を支える店舗も含めて28店舗で構成されているが、とりわけ魅力的なのはやはり、目の前の志津川湾で取れる豊富な海の幸を取り扱う鮮魚店や飲食店である。商店街の飲食店が旬の海の幸をそれぞれの創意工夫によって丼ものとして出す「南三陸キラキラ丼」は今やそれを目当てに訪れる観光客が引きも切らない状況である。特産の志津川だこや殻付きウニ、それにギンザケ、カキ、ホタテ、ホヤ、ワカメなどが「ご当地価格」で購入できるのも魅力的である。
石巻市は南三陸町の南隣、人口約147,000人を擁する宮城県第二の都市である。旧北上川の河口に位置する港町で、東日本大震災では全ての市町村の中で最大の被害を受けたが、そこから力強く立ち上がってきている。その一つの象徴とも言えるのが、「いしのまき元気いちば」である。旧北上川のほとり、石巻の中心部に2017年6月にオープンした、食事と買い物が楽しめるスポットである。
この施設で特筆すべきは、立地している場所が旧北上川の河川堤防上ということである。かつて河川堤防がこのような形で地域振興のために利用されたことはなかったが、現在国土交通省が主導して地域の「顔」、そして「誇り」となる水辺空間の形成を目指す「かわまちづくり」が進められており、東北でも二五の地区で計画が遂行中である。この石巻地区のかわまちづくりは、同じく震災からの復興を企図した名取市閖上地区のかわまちづくりと共に、そのトップランナーとも言える存在である。
同市場は、石巻市と食品加工関連16社、地元料理店4店、 地元企業8社などが一同に集まり、旬の鮮魚、水産加工品から、農産品、地元の物産品、三陸地域や震災復興応援地域の特産品などが豊富に取り揃えられている。まさに石巻都市圏の中心都市である面目躍如たる存在とも言える。
「シーパルピア女川」
女川町は石巻市の東隣に位置する人口約6,000人の町である。女川町も震災で中心街の建物がことごとく流失する被害を受け、町内で買い物ができない状態が続いたが、翌年の2012年4月に仮設の「きぼうのかね商店街」がオープンした。2015年12月に、女川駅前にテナント型商店街「シーパルピア女川」が完成し、多くの商店はそこで再オープンした。現在、29の店舗が軒を連ね、町民の日常生活をサポートする商店から、町外の観光客のニーズにも対応できる飲食店や土産物店、それに観光物産施設「ハマテラス」も入っている。
「町内外の人が気軽に訪れ、集い、語り合う場をつくる」ことを目的に、海を見下ろせる駅前広場や「レンガみち」が整備され、交流が生まれる場づくりが意識されている。ちなみに、この「レンガみち」は高台に通じる避難路も示しており、津波からの安全な避難を意図したものにもなっている。こちらも、港町ならではの新鮮な旬の魚介類や水産加工品を中心とした特産品が購入でき、また海鮮だけではなく、ステーキやイタリアン、カフェ、ビストロ、ビアバーなど多彩な飲食店もあり、まさに町内、町外問わず楽しめるスポットとなっている。
「浜の駅松川浦」
福島県相馬市は、福島県浜通り北部に位置する人口約37,000人の市である。宮城県に隣接し、仙台大都市圏にも含まれており、松川浦の海産物や1000年以上もの伝統を誇る相馬野馬追で知られる。その松川浦に昨年10月にできたばかりの「浜の駅松川浦」には、地元の人々の強い願いが込められている。福島県の浜通りは言わずと知れた、東日本大震災による津波被害と原発事故に伴う放射線被害、風評被害に苦しめられてきた地域である。
冷たい親潮と温かい黒潮とがぶつかって潮目が生じる日本屈指の好漁場である浜通りで取れる魚介類は「常磐(じょうばん)もの」と言われる、知る人ぞ知るブランド銘柄である。松川浦と言えばまた、東北で唯一あおさが取れる地で、それだけでなくその味も全国屈指と評判だった。そうしたかつての浜の賑わいを取り戻すため、また風評被害を払拭して地産地消を推進していくために、復興のシンボルとなる市民市場として整備されたのがこの「浜の駅松川浦」だったのである。ここでは、「買う」「食べる」「観る・遊ぶ」「つくる」「つながる」の五つの柱を打ち出して、「市民の台所」兼「人気観光スポット」となることを目指している。
各拠点の持つ役割の大きさ
ここに挙げたのは各地にあるうちのごく一部ではあるが、こうして見てくると、各地に実に多彩な拠点があることが分かる。そしてまたそれらが地域の特色や特産物としっかり結びついていること、そうした情報をしっかり発信していることも特筆すべきことである。ホームページがあることはもちろん、ブログやSNSなどでその時々のトピックスや旬の情報をいち早く発信している。こうした施設がそれぞれの地域の情報を発信し、交流する人の数を増やし、地域に賑わいをもたらすために果たす役割は実に大きいと言える。
今はコロナ禍で実施は難しい面もあるが、地域内外を問わず参加できて楽しめるイベント企画をより積極的に開催できていくと、自ずと交流も増え、地域の盛り上がりにもつながっていくことだろう。これらの拠点には、そうした人を呼び込むための企画力が求められているわけであるが、それはそれぞれの地域の住民を巻き込んで地域一体となって考えていくのがよい。自分たちの地域の魅力を再確認することにも、地域づくりに主体的に関わることにもつながり、一石二鳥である。