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 いろいろ心が落ち着かないこともあり、たまたま本棚にあった『100分de名著 ブッダ 最後のことば』という本を読んだのでこれについて少し。

1 本の紹介

 これは花園大学の佐々木閑教授が書かれた本で、原始仏教の経典の1つである『涅槃経』を通してブッダの「最後の旅」の様子を紹介してくれている本です。


 ただ、この最大の特徴はいわゆる小乗仏教の紹介もしながら、ブッダが作り上げた独自の組織(論)について言及しているところです。

2 小乗仏教

 どうしても小乗という言葉自体が大乗との比較で特定の人(僧侶)だけが頑張っており、一般大衆を気にしないというイメージで見られがちですが、それが間違いであることを丁寧に教えてくれる本です。

 どういうことかというと、二元論で、僧(修行のための組織)と俗世を区別し、出家した人は修行をする。そして何をしているか包み隠さず公開する。

 僧の修行が俗世の人に良い影響を与えると共に、俗世の人はそうした修行をする人を援助することが功徳となるという発想です。

 そしてその功徳には現世的利益がメインという発想は初めて知りました。大乗はこの功徳に修行と同じ効果(最高が涅槃に行けること)を与えるというわけです。

3 組織論

 この本のメインは先に書いたように如何にブッダが作った組織がすごいかという観点から書かれております。

 それはそれで大変感銘をうけたのですが、今の精神状態では関心がそちらにないため(葬儀と遺された人、割愛させてもらいます。

4 涅槃

 仏教の基本概念は「生」とは苦しみであり、何もしなければそのまま輪廻転生を繰り返し、その苦しみを未来永劫続けなければなりません。

 そこから離脱して涅槃に行くようにできることにするが修行なわけですが、この人生が「苦」というのはよくわかります。

 他人から見れば羨ましい限りの人生も当事者にとってみれば、苦労の連続ということはよくありますし、幸せの絶頂にある人がいきなり病気になってしまったり、更には亡くなってしまうことも多々あります。

 この苦しみから解放された状態が涅槃であれば、皆が皆どんなに幸せかと思います。

5 来世

 そして、そこでまた愛しい人たちと再会でき、これから幸せに暮らせるならどんなに良いことでしょう(正直私もこの発想が今はとても魅力的に思えてなりません)。

 ただ、怖いのは類似の発想を基に異教徒をせん滅すれば(イスラム教的な)天国に行けると洗脳をしたり、戦死しても靖国神社であえるという考えから命を軽んずることだけはどうかと思います。

 また、その一方で、歳をとって知り合いが皆亡くなってしまい、早くお迎えが来ることを望んでいる方の気持ちもわからないではありません。

6 最後に

 黒澤明監督の『夢』の最後のエピソードにあるように、歳をとって亡くなる大往生は悲しいことではない。そう考えるのが良いのでしょう。


 それをむやみに早くなくそうとしたり、他人を巻き添えにしたりしようとすること、それは間違っているということだけは自信をもって言えます。

 年齢的には大往生でなくても、自分のやりたいことを精一杯やってきて、そこで力尽きればそれも本来は悲しむべきことではないのかもしれません。

 ただ、悲しいかな私がそこまでできた人間ではないことに尽きるのでしょう。