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親ガチャという言葉。イヤな響きだなと思いながら、生々しい無力感とか諦めが透けて見えるような気がしている。

 

“親ガチャ”という言葉の響き

親は自分では選べない。自分がどんな境遇に生まれるかは運任せだから、ガチャでしかない。人生の方向性や、できることとできないことも、生まれた時からある程度決まっている。

 

ニュアンスとして一番近いのは、被害者意識という言葉だろうか。自分の努力が作用しえないところで起きることは、自分のせいではありえない。神様だか運命だかわからないけれど、決して望まない状況に追い込まれているのは圧倒的に不公平な不可抗力のせいだ。自分は被害者でしかない。

 

ネグレクトあるいは虐待に近い扱いを受けた人たちもいるだろう。ただ、そこまでされた人たちは親ガチャというワード程度では納得できないと思うのだ。

 

生贄探しと誹謗中傷

自分の力ではどうしようもないことを理解し、受け入れていく過程には、それなりの段取りが必要だ。結果的に、すべてのネガティブなものの原因は親にあるとして納得する。これは、親を非難の対象=生贄として選ぶことにほかならないのではないだろうか。

 

きわめて近い関係にある親を生贄に選ぶのはまだましだ。しかし、よく似た感覚を自分とは関係性が薄い対象に向けてしまう人も多くいる。特にネット上で顕著化しているこうした行いには、親ガチャとは比べものにならないほどの理不尽さが際立つ。生贄にされてしまう人たちは、不特定多数の人間からネガティブな感情を向けられ、執拗に攻撃をしかけられる。

 

誰でも生贄となりえる執拗な攻撃の手段は、有名人・一般人の差を問わず向けられる誹謗中傷だ。誹謗中傷があふれかえることを理由に、大手ニュースサイトのコメント欄が閉鎖されてしまうこともある。

 

多様性に対する違和感

生贄探し 暴走する脳』(中野信子、ヤマザキマリ・著/講談社・刊)という、少し前からとても気になっていた本を読むことができた。著者のひとりである認知神経科学者の中野信子さんは、まえがきに次のような言葉を記している。

 

個体ひとりひとりの考え方を聞けば、さほど良識がないとも思えないのに、集団になるとそれだけで凶暴になる。誰のコントロールも受けつけない。問答無用で異物を排除しようと、いつも生贄を探している。まるで、生贄がいないと生き延びていけない、とでも言っているかのようです。

『生贄探し 暴走する脳』より引用

 

まえがきでは多様性という言葉が宿す独特な違和感について語られていて、人間の生物としての仕組みや進化の過程まで盛り込んで綴られる文章はとてもわかりやすく、すぐに引き込まれる。

 

コロナ禍の中で生まれた次世代への言葉

本書は、以下のような経緯で出発した。

 

ヤマザキマリさんは、情報を広く求め、複層的に思考することのできる、温かい知性の持ち主です。彼女とLINEでやりとりする中で、これは残しておきたいね、と語らい、今回の出版につながりました。

『生贄探し 暴走する脳』より引用

 

コロナ禍の中で生まれた本書の大テーマであり、次世代への教訓となる言葉も紹介しておこう。

 

危機的な状況が起これば、少しでもはみ出した者から、生贄に捧げられてしまうのだよと。ヒトは放っておけばそういうことをしてしまう生き物なのだと。だからこそ、知性でそれを押しとどめる必要があるのだということを。

『生贄探し 暴走する脳』より引用

 

この本を手に取る人は、今の時代を生きる当事者の一人として、こうした事実と向き合わなければならない。

 

正義なんてあやふやだ

章立てを見てみよう。

 

第1章 なぜ人は他人の目が怖いのか

第2章 対談「あなたのため」という正義~皇帝ネロとその毒親

第3章 日本人の生贄探し~どんな人が標的になるのか

第4章 対談 生の美意識の力~正義中毒から離れて自由になる

第5章 想像してみてほしい

 

この本は、正義あるいは正義感というものを俯瞰していく。正義感の歴史に関する一冊と形容できるかもしれない。強く感じたのは、正義感とか、それを基に紡ぎ出される常識という感覚のあやふやさだ。

 

魔女狩りから日本人特有の思考経路まで

魔女狩りやローマ皇帝ネロの逸話といった歴史的な切り口から、人間の脳の働きや日本人の思考回路の特性といった脳科学・心理学的要素まで幅広く盛り込みながら綴られる文章は、反芻すべき要素が多いのにとても読みやすい。そして、ごく普通の語り言葉で展開する第4章はとても良いアクセントで、共著という形態の良さが最大限に活かされていると思う。

 

ヤマザキマリさんによるあとがきに「自由や幸福の価値観は、どんな親しい関係にある人同士の中であっても共有されるわけではない」という一文がある。現時点で、2019年以前の世界が完全に元通りの形で戻って来るという確証はない。そういう状況の中で自分と他者、自分と社会という関係性を構築する一つひとつの要素を見直し、共有できるものとできないものをしっかり判別したいと思う。

 

 

【書籍紹介】

生贄探し 暴走する脳

著者:中野信子、ヤマザキマリ
刊行:講談社

幸せそうな人を見ると、モヤッとする、相手が得をすると損した気持ちになる、抜け駆けする人が痛い目に遭うのは当然、お前だけを特別扱いできない、などー日本人の思考の傾向は脳の特徴だった。豊かで多様性のある生き方のために、中野信子とヤマザキマリがアドバイス。

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