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6月16日にスイスのジュネーブで米露首脳会談が開催されてから約1ヶ月半。米露のトップが直接顔を合わせるのはバイデン政権下では初めてのことであった上、バイデン大統領による「プーチンは人殺し」発言、ロシアのハッカー集団による米国のインフラへのサイバー攻撃、ウクライナ周辺へのロシア軍集結と話題が盛り沢山であったためか、国際的に大きな注目を集めた。

バイデン氏が「プーチンは人殺し」と言及した後に開催された米ロ首脳会談

では、会談の成果はいかほどのものであり、今後の世界にどのような影響を及ぼしていくのか。本稿ではこの点を、会談前後の論調と「答え合わせ」を行うという方式で検討してみたい。

ウクライナ問題と人権問題は平行線に終わる

今回の会談に際し、米露両国における観測でほぼ一致していたのはこの点である。バイデン氏はロシアがウクライナに介入した当時、オバマ政権の副大統領を務めていた人物であり、ホワイトハウスの高官にもオバマ政権出身者が少なくない。ロシアがウクライナ領クリミア半島の占拠をやめず、同じくウクライナ南東部のドンバス地方からも兵を引かない限り、両国の立場は平行線であろうと考えられた。

この点は、概ね前評判が的中したと言ってよいだろう。

今回の会談に先立つ2月25日(ロシアがクリミアへの介入を開始して7周年に当たる日)、バイデン大統領はロシアのウクライナ介入を断固認めないという姿勢を表明し、同じ日には米国防総省がウクライナ向け軍事援助を行う方針を表面した。また、ウクライナ政府が2020年から呼びかけている、クリミア奪還のための首脳級会合「クリミア・プラットフォーム」についてもバイデン政権は前向きな姿勢を示している。これに対してロシア側は「クリミア併合は現地住民の意思による合法的なもの」という姿勢を崩しておらず、2020年の憲法改正では「領土割譲の禁止」という条項も盛り込まれた。

これでは米露の話が噛み合うはずはない。会談後の記者会見では米露双方ともウクライナ問題についてはごく簡単にしか触れていないが、要は合意できる点があまり多くなかったということだろう。

この点は、人権問題に関してもほぼ同様であった。

野党活動家ナヴァリヌィ氏の拘束やメディア弾圧を問題視するバイデン大統領に対し、プーチン大統領は「ナヴァリヌィは自ら望んで逮捕されたのだ」と述べて、拘束問題自体が演出されたものだという「超解釈」を示した上、ロシアの反体制派は米国の支援を受けているとも示唆した。米露大統領の記者会見が別々に行われたことからしても、こうした基本的な価値観の面で両国の平行線は解消されなかったと考えられよう。

野党活動家ナヴァリヌィ氏についてプーチン大統領は「自ら望んで逮捕されたのだ」との見解を示した

焦点は核軍縮となる

これも概ね当たった。というよりも、他に米露が協力できそうな分野が見当たらなかったといった方が正確であるかもしれない。

2019年、ロシアの条約違反を理由としてトランプ政権が中距離核戦力(INF)全廃条約から脱退した結果、現在の米露間に残っている法的拘束力のある核軍備管理枠組みは、オバマ政権期に結ばれた新戦略兵器削減条約(新START)だけである。したがって、バイデン政権としては、この分野では何とか米露が協力できる道を見つけようとするだろうというのが事前の予測であった。

トランプ政権は中距離核戦力全廃条約から脱退

ロシア側としても、核軍縮での協力は悪いことではない。ドル換算で見たロシアの軍事支出は606億ドルと、米国(約7380億ドル)の12分の1以下に過ぎず(『ミリタリー・バランス』2021年版より)、冷戦期のような軍拡競争にはとても耐えられないからである。通常戦力となると質・量ともにさらに分が悪くなるため、条約によって両国の核戦力を概ね対等に保っておくことは安全保障上、死活的な意味を持つ。

果たして蓋を開けてみると、米露首脳会談で最も目立った成果はこの分野に関するものであった。米露両国は2021年1月、2月に期限切れとなる筈だった新STARTを5年間延長することで合意していたが、今回の会談では延長期間中に新たな核軍備管理枠組みに向けた対話を進めることを柱とする共同声明が発出されている。これは今回、米露が発出できた唯一の共同声明であった。

ロシア側が会談に際して引き連れてきた顔ぶれも、核軍備管理に向けた意気込みを伺わせるものと言えよう。ラヴロフ外相がプーチン大統領に同行したのは当然であるとしても、軍備管理を担当するリャプコフ第一外務次官にゲラシモフ第一国防次官兼参謀総長と、実務のトップが揃っていたためである(余談ながら、会談に同席したアントノフ駐米大使ももともとは外務省の軍備管理畑出身であり、新START交渉当時は国防省に出向して軍備管理担当次官を務めていた)。

米露関係は大きく改善することはない

このように、米露首脳会談の個別のトピックはほぼ予想の範囲内に収まっていたと言ってよい。したがって、今回の会談によっても米露の対立関係には概ね変化はないというのが米露双方における一致した見方であったが、「答え合わせ」をしてみると、そこには多少の留保が必要であると思わされる部分もあった。

第一に、米露両国は少なくとも相手のメンツを潰さないように互いにかなり配慮した形跡が見られる。例えば会談後の記者会見において、バイデン大統領の人物像について問われたプーチン大統領は「彼はプロ」「何事も見逃さない人物」と高く評価したほか、高齢による健康不安説についても「元気そうに見えたよ」と否定している。一方、米側も米露首脳会談の日程が決まってから初めてウクライナのゼレンスキー大統領に訪米を打診するなど、「ロシアが先、ウクライナが後」という順番を守った。ゼレンスキー大統領は「何故いつもロシアが先なのだ」と不満を表明しているが、少なくともこうした「けじめ」の面では、米国はロシアの顔を潰すことを慎重に避けている。2021年の春先にロシア軍がウクライナ周辺に大挙して集結して国際的な注目を集めたのは、「ウクライナにあまり肩入れしすぎるな」「ましてウクライナのNATO加盟などゆめ考えるな」というロシアからバイデン新政権に向けた警告であったのだろうが、米国はこれを一応、受け止めたことになる。

ウクライナのゼレンスキー大統領

第二に、今回の米露首脳会談に先立ち、米国は独露を繋ぐ新天然ガスパイプライン「ノルド・ストリーム2(NS2)」に対する制裁を緩和した。これはプーチンに対するバイデンの大きな「お土産」と言えるだろう。その後、米国は工事の止まっていたNS2を完成させることを容認するという姿勢を示しており、過去7年間、厳しくなる一方だった対露制裁が部分的には緩和される画期となった。

第三に、限定された分野とはいえ、米露が安全保障上の協力に踏み出す動きが見られる。前述した新核軍備管理枠組みについては、具体的な内容について話し合うための専門家会合が近く開催されることが決定しているほか、サイバー安全保障についても同様に専門家会合が立ち上げられると伝えられる。また、後のロシア側報道によると、首脳会談の席上では米軍撤退後のアフガニスタン情勢に対処するために中央アジアに米軍の無人機基地を設置させてほしいという打診が米側からあったという(ただしプーチン大統領は「既に中央アジアにロシア軍が居るのだから、ロシアの無人機の情報を共有すればよい」として直接的な返答は避けたようだ)。

「リセット」でも「冷戦」でもなく

バイデン氏が副大統領を務めたオバマ政権は、その当初、「リセット」と呼ばれる対露接近政策を展開したことで知られる。オバマ大統領が追求した「核のない世界」を実現するためにはロシアとの核軍備管理協力が必要であり、アフガニスタン情勢安定化のためにもやはりロシアをパートナーとする必要があったためだ。

だが、2010年代にロシアで進んだ人権弾圧や、2014年のウクライナへの介入は、こうした動きをご破産にした。2016年の米国大統領選挙に対するロシアの介入はそのダメ押しとなるものであり、こうした背景の下で高まってきた米露対立が簡単に解消することはないだろう。「リセット」はもはや望み得ないという米露における事前観測は現在もおそらく有効である。

他方、「米露関係は大きく改善することはない」の段落で指摘したように、対立の強度をこれ以上高めないようにしたい、という思惑はどうやら米露双方に存在するようだ。ここで米側の主な動機となっているのは、米中対立であろう。中国との「大国間競争」を戦い抜く上でロシアとの二正面作戦は避けたいということである。ロシアにしても、経済が長期的な停滞傾向に陥る中で、西側からの経済制裁(特にエネルギー分野に対する投資制限)と技術制裁(同じくエネルギー分野に関する技術供与と軍事転用可能な両用技術へのアクセス制限)はボディブローのようにじわじわと効き始めている。

この意味では、バイデン政権が厳しい対中姿勢をトランプ政権から引き継いだことは、ロシアにとっては一安心というところだろう。現在、ロシアが米国に対して発揮しうる最大の影響力は「あまりロシアを締め付けると中国と軍事同盟を結ぶかもしれないぞ」という脅しであるからだ。米国が中国との間で「G2」あるいは「新型大国間関係」を結んで手打ちを図るならばこの手は使えなくなるが、現実のバイデン政権は対中姿勢を軟化させる様子はなく、そうであるからこそ米露首脳会談はある程度ロシア側に配慮した内容となった。

ただ、対中で米露が結束するという事態はやはり考え難い。ロシアにしてみれば、多少の制裁緩和程度の「餌」で米国側についたところで、中国の軍事的圧力を丸ごと引き受けさせられるだけであり、しかも今や最大の貿易相手国となった中国との関係を損なうことになるからである。核軍縮やアフガニスタン問題での協力が米露関係を抜本的に改善するわけではない、ということもオバマ政権期に学習済みであろう。

対中で米ロが結束するという事態は考え難い

しかも、2024年にはプーチン大統領の任期切れが控えており、そうなると再来年の秋には続投か否かを判断せねばならないという「引き返し不能地点」がやってくる。仮に足元の権力基盤に不安を抱えるプーチン大統領が続投を決断すれば(そうなる可能性は高い)、2036年までの超長期政権への見通しが開ける一方で、バイデン政権はロシアに対して再び厳しい姿勢を取ってくる筈である。

このようにしてみると、今後とも根本的な地政学的利害関係や政治的価値観で折り合えないことを承知の上で、互いに受け入れ可能なレベルまで対立関係を緩和させることにした、というのが今回の米露首脳会談の基本的なトーンであったように思われる。「リセット」でもなく、かといって「冷戦」でもなく、大国同士が鍔迫り合いを繰り広げる「管理された対立」のようなものが今後の基調となるのではないだろうか。

【執筆:東京大学先端科学技術研究センター特任助教 小泉悠】