飼い猫の多くが腎臓病を発症
飼い猫がかかることが多いという「腎臓病」。その治療薬を開発している東京大学の教授の研究に対し、多くの人から寄付が寄せられている。
日本では1000万頭近い猫が飼われているが、実はその多くが腎臓病で亡くなっているという。
こうした中、猫の腎臓病が発症する原因を解明し、治療法を開発したのが、東京大学大学院医学系研究科疾患生命工学センターの宮崎徹教授だ。宮崎教授は20年前に、血液中に存在する「AIM」というタンパク質を発見。それ以来、AIMの研究に打ち込み、その過程でAIMが腎臓の働きを改善することを突き止めた。
腎臓病は尿の通り道に死んだ細胞が溜まっていき、最終的に「トイレの排水管が詰まる」ようになって腎臓が壊れるという病気なのだが、AIMはそのトイレの詰まりを解消してくれるような働きをするのだという。
そして、猫の寿命を大きく延ばす可能性のある治療薬の開発に取り組んでいる。
昨年の春先の段階で、治験薬の製造のための開発をほぼ終了するところまできていたが、新型コロナウイルスの影響で研究費不足に陥り、開発は中断を余儀なくされてしまった。
こうした経緯を伝える記事が7月11日にインターネット上に配信されると、研究を支援しようと東京大学への寄付が急増。東京大学によると、8月3日の午前8時現在で、1万2600件の寄付があり、総額は1億5500万円に達したという。
寄付の件数や総額からは「猫の腎臓病治療薬」への期待の高さが伺えるが、そもそも、飼い猫の多くが腎臓病で亡くなるのはなぜなのか? また、この治療薬が実用化するまでにはどのぐらいの時間がかかり、実用化で猫の寿命はどのぐらい延びるのか?
東京大学大学院医学系研究科疾患生命工学センターの宮崎徹教授に話を聞いた。
飼い猫の多くが腎臓病で亡くなる理由
――飼い猫の多くが腎臓病で亡くなる理由は?
腎臓は猫もヒトも、ネフロンという、ろ過装置のユニットが100万個近く集まってできた臓器です。ヒトでも猫でも、毎日いくつかのネフロンで、ゴミが詰まってしまうと考えられますが、ヒトではAIMがその都度、詰まったゴミを取り除きますので、ネフロンは正常に戻ります。
しかし、猫ではAIMが先天的に働いておらず、溜まったゴミが取り除けないため、ゴミが詰まったネフロンはそのまま壊れていきます。
ネフロンは100万個以上あるので、数個、数十個壊れても、腎臓全体の機能には影響ないのですが、猫では生まれたときから1個、2個と次々と壊れていきます。そのため、ある程度の年齢になって、たくさんのネフロンが壊れてしまった時点で、腎機能が低下し、腎臓病と診断されます。
――これまで猫の腎臓病を治療する方法がなかったのはなぜ?
ヒトも猫も、腎臓病に対する決定的な薬剤・治療法はありませんでした。
理由として考えられるのは、数年・数十年かけて、慢性的に進行する腎臓病の病態の複雑さのため、何を標的とした薬剤・治療法を開発するかの判断が困難であること、また長い時間かけてゆっくり進行するので、薬の治験が困難(とても長い時間、治験をしなくてはならないことになる)であることが挙げられるのではないかと思います。
「猫の平均寿命の2倍、最長で30歳くらいまで生きる」
――猫の腎臓病治療薬の開発のきっかけは?
30年ほど前、病院で患者さんを診療する臨床医から、病気の成り立ちや難病の治療法を解明する基礎研究者に転じました。
1995年からのバーゼル免疫学研究所に在籍している時に、人間の血液中に高い濃度で含まれているタンパク質を発見し、「AIM」と名付けました。そしてAIMの働きをずっと研究してきました。
今から5年くらい前に、AIMが腎臓の中に溜まったゴミを取り除き、ネフロンを修復していることがマウスの実験で明らかになりました(Nature Medicine, 22: 183-193, 2016)。
ちょうど、その頃、獣医の先生から、猫のほとんどが腎不全になることを初めてお聞きし、調べてみると、猫のAIM は先天的に活性化しない(=ゴミをとることができない)ということが明らかになりました。
そこで、きちんと働くAIMを補充(注射)してあげれば、腎臓病の発症や増悪を抑えることができるはず、と思ったことが開発のきっかけになりました。
――猫にこの治療薬を投与すると、どのぐらい寿命が延びる?
獣医師さんによりますと、猫の平均寿命の2倍、最長で30歳くらいまで生きるようになるということです。
「相手が猫でも人間でも自分にできることはしたい」
――7月12日から東京大学基金のwebサイトで寄付を募っている。このきっかけは?
私は、これまで一般の方々に寄付をお願いすることをしていませんでした。
それは一般の方々にご迷惑をおかけしたくないこと、そして、それ以上に、薬を作る研究は非常に長い時間がかかる上に、この日までに100%確実に完成できますとお約束できる類のものではないことから、薬の完成をお待ちいただく皆様に、ご心配と不安を与えかねないと考えていたからです。
ところが、7月11日にAIM研究に関する記事が時事通信社より配信されて以来、大変多くの方々が、自主的に研究費のご寄付を東大基金宛にお送りいただきました。
12日にそれを知り、私自身、大変驚き、困惑しましたが、東大基金の事務局と話し合い、皆様のご温情とご期待に応えるためにも、ご寄付の受け入れ先を明確にすることにいたしました。
――多くの寄付金が集まっていることをどのように受け止めている?
AIMの研究を応援してくださる皆様の熱意と期待が大きいことを実感し、大変感謝するとともに、研究を完成させなくてはならないという責任を改めて強く感じました。
――それだけ、猫の腎臓病治療薬を待ち望んでいる方が多いということ?
間違いありません。
――獣医師ではない宮崎教授が、猫の治療薬の開発に熱心に取り組んでいるのはなぜ?
私は病気の治療法を見つけるのが仕事なので、相手が猫でも人間でも自分にできることはしたいからです。
治療薬が完成するのは2年後か
――治療薬ができるまでには、どのぐらいの時間とコストがかかる?
簡単に言いますと、治験薬を製造するための条件を開発する工程は、過去4年かけて、ほぼ終了しています。
また、十数年に渡って進行する腎臓病の、どのタイミングでAIMを投与すると、短期間にその効果を判定することができるかについての試験もほぼ終わっています。
この先、治験薬を製造し、実際の治験(臨床試験)を行って、認可申請という流れになります。時間とコストについては、正確に予想することは困難ですが、全ての過程が問題なくスムーズに進めば、ここからあと2年ほどではないでしょうか。コストは数億の規模だと思われます。
腎機能が低下した猫に効果が見込め、寿命が15歳から30歳に延びる可能性もあるという、猫の腎臓病治療薬「AIM」。この研究費の寄付に、1カ月も経たない中で1万2600件も集まっているということは、それだけ期待されているということだろう。
東大基金は寄付を引き続き募っている。