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「14歳からのシュタイナー教育」(高橋巌訳)、
これもすごい本でした。

深いし、多岐に渡ってるし、実際的だし、
もう本当にすごいんだけど、
とっても全部を網羅することができるとは思わないので、
自分がとりわけ衝撃を受けた部分を、
自分が理解したように書いていこうと思います。

それで、シュタイナーは神智学の人ですから、
いろいろオカルティズムの用語がでてくるのですが、
そういうのは使わないで、
なるべく普通の言葉で書きますね。

思春期というのは、人生の七年期でいうと、
三番目にあたります。

一番目が0歳から6歳までで、
肉体が活発に働いて、生命力が少しずつ育つ時期。

二番目が7歳から13歳までで、
生命力が活発に働いて、感受性が少しずつ育つ時期。

そして三番目の思春期は、14歳から21歳まで。
感受性が活発に働いて、自分で考える力が少しずつ育つ時期です。

とくにその思春期の始まりの時期は、
体の性的成熟とともに、
感受性がとても強くなるのに、
自分で考える力がまだまだ弱いので、
とてもアンバランスになる時期なのです。

そのアンバランスさのあまり、
態度が乱暴になったり、
殻にこもったようになってしまったりするのですが、
それは彼らの本当の思いではないとシュタイナーは言います。

どんなに態度が悪くても、
話しかけても「んー」としか言わなくても、
思春期の彼らは、
激しく理想を求めているのです。

この世界にはなにか崇高で真なるものがあって、
自分にはその世界で果たすべき運命があるはずだと。

だけどアンバランスな状態にある彼らは、
とても自意識過剰になっているので、
その羞恥心が、魂の深い無意識の層にまで影響を及ぼしているそうです。

実際のところ、思春期のこどもたちに現れる様々な現象は、
この羞恥心のバリエーションなのだとシュタイナーは言っています。

これを知っておくと、彼らを理解するのにかなり役立ちます。
どんなにおかしな行動をとっていても、
よく観察すると確かに、その行動が羞恥心からきているのが分かるのです。

自分の本質をさらけだすのが恥ずかしい、
だから、本当は社会と良好な関係を結びたいと思っているのに、
それとはうらはらに乱暴な態度をとったり、
自分の中に引きこもってしまったりするのです。

殻に閉じこもっているような子どもに対しては、
その子どもの羞恥心を尊重して、
あまりそのことに直接はふれず、
そういう風に、閉じこもってもいいんだよと、
受け入れるような態度を示す事が大切だそうです。

逆に反抗的で乱暴な態度の子どもに対して必要なのは、
ユーモアだとシュタイナーは言います。
笑いというものは、何かを超越するものですからね。

こどもたちが言うことを聞かずに暴れ回っているような時、
大人は、一方ではそれに対処しながらも、
もう一方では、
「こんなこと、どうでもいいんだけどね」
とでもいうような、
あまり事態を深刻に受け取っていないような態度をとることが、
この年頃の子どもたちには必要なのだそうです。

自分が中学の頃を振り返ってみても分かりますよね。

顔を真っ赤にして生徒に怒鳴ってる教師なんか、誰も尊敬しなかったし、
(スクールウォーズの滝沢賢治とかは別の話ですが)

反対に、授業はちゃんとやるけど、鷹揚な性格で、反抗的な生徒にもユーモアをもって対処するような先生は、人気があったはずです。

そしてもう一つ、思春期の子どもの前にたつ大人として大切な事は、
「この世界と深く関わりたい、
何が真実なのか知りたい、
自分の人生がなんのためにあるのか理解したい」
そのような思いを、心の深いところに持っている子どもたちに対応できるだけのものを、
大人自身が持っていることだそうです。

それは、「これが真実である」というドグマを持つ事ではもちろんなくて、
むしろ真摯に真実を追求しようとする魂の態度のようなものが大切なのです。

思春期のこどもたちは、
とりわけ、大人の魂の状態に敏感です。

ですから、大人が静かに内面的に、
世界と深く関わり、
今の時代に必要な良心とはなんなのか、
自分はいったい何者なのか、
そういう問いを誠実に考えることで生まれる魂の状態が、
思春期の子どもたちの前に立つときに必要なのだそうです。

でもこれってユーモアや繊細な心遣いとかよりも、
ずっとハードル高いですよね。

シュタイナーの時代ですでに、
「若者たちの問いに、古い世代はもはや答える事ができなくなってしまった。
古い世代の言葉や態度は、若者たちにとって何の意味ももたないようになってしまった。」
と言っています。

私たちの考え方、感じ方が、物質主義におかされていて、
私たちのもつ善意さえも、自然科学主義に毒されているというのです。

ですからシュタイナーは、私たち大人は、
「古い世代である私たちは、若者たちの前にどのように立てばよいのか」
という問いを持って、
自分の内面を徹底的に掘り返す必要があると言います。

これはもう、ちっとやそっとでどうにかなるものではないし、
時間をかけてやっていくしかないけれど、
やりがいのあることですよね。

思春期のこどもたちというのは、
「こころとからだのすべてをもって、
人間になろうとしている」
存在だそうです。
そういう存在の前に立つのにふさわしい大人であろうと努力することができるのは、
幸せなことだと私は思います。

ルドルフ・シュタイナー教育講座〈別巻〉/十四歳からのシュタイナー教育
ルドルフ・シュタイナー教育講座〈別巻〉/十四歳からのシュタイナー教育