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情報があふれ、なにが正解なのか、自分で答えを見つけ出すのが困難な時代。「私はいったい何を信じたらいいの?」漠然と、そう悩んでいる人は多いかもしれません。そんな不安を和らげてくれる本が、2021年3月に発刊されました。『イドコロをつくる』(伊藤洋志・著/東京書籍・刊)です。書店で見つけ、貪るように一気に読みきってしまったというブックセラピストの元木忍さんが、著者の伊藤さんに、“イドコロ”のひとつになっている都内の公園でインタビューを行いました。

 

伊藤洋志『イドコロをつくる 乱世で正気を失わないための暮らし方』(東京書籍)

「不安の感染を防ぎ、思考の健康さを保つ」と帯に書かれた本書には、変化の激しい現代において自分を見失うことなく暮らすためのコツや工夫が満載。“イドコロ”の必要性、意味、つくり方から実践方法まで、実際にさまざまな“イドコロ”を作ってきた著者・伊藤洋志さんの知恵と経験が詰まっている。コミュニティづくりでもつながり構築をするためのノウハウ本でもない、元気に毎日を心地よく過ごすための提案が書かれた一冊。

 

時間を取り合う乱世で、大事なのは“バランス”

元木忍さん(以下、元木):私が『イドコロをつくる』を初めて手にした時、ここに書かれてあることが無意識に心に落ちました。共感することが多く、あっという間に読み終えていたんです。2011年の東日本大震災後に出版された『ナリワイをつくる』(伊藤洋志・著/東京書籍・刊,2012年)も読ませていただきました。この『イドコロをつくる』は、コロナ禍だからこそ出版された本なのでしょうか?

 

伊藤洋志さん(以下、伊藤):『イドコロをつくる』の企画は、2017年の頃からありました。フェイクニュースなど世の中に情報があふれていた頃だったので、変化の激しい時代に、そういう情報に呑まれないための必要なことは何かと考えながら書き進めているうちに、新型コロナウイルスもやってきて、一気に書き上げた感じでしたね。

 

↑今回の取材場所を公園に指定してくれた伊藤さん。この日も真夏日だったので暑くて大変かと思いきや、木陰の涼しい場所で楽しい取材に。「午前中はここでたまに原稿を書いたりしています」と教えてくれました

 

元木:そうだったんですね。コロナになってから書き始めたと思っていました。編集を担当された山本さんは、今回どんな経緯で依頼されたのでしょうか?

 

山本浩史さん(以下、山本):もともと『ナリワイをつくる』の編集を担当していました。この本も実は震災前から企画していた本だったんですよ。僕自身のテーマに「生きていくために必要な考え方や技術を伝える実用書を作りたい」という思いもあって。うちの出版社は教科書を作っている会社なので、“生き方の教科書”のような観点から、伊藤さんに執筆をお願いしました。

 

元木:今回の「イドコロ」というキーワードは、どういう経緯で生まれたのでしょうか?

 

山本:“時間”について考察してみませんか? という投げかけから始まったと記憶しています。時間って各人にとって大切なリソースであって、無限にあるわけではないので、締め切りに追われたり、時間の取り合いになったり、リソースの奪い合いのようになってしまうと本来の人間らしく生きられないのでは? と感じていて。各人が何とか時間と“並走”していけるようなあり方を模索できないか……と。

 

伊藤:そこから「ドラえもんに出てくるような空き地は典型的ですが、昔は広場に人が集まって、各自が好き好きに過ごしていた風景がもう少しあったな 」という考えが自分の中で広がっていきました。どこからともなく人が集う広場では、ラジオ体操をしたり、子どもたちが遊んだり、井戸端会議をしたり、昼寝をしたり、とくに他者を気にすることなく並存している“イドコロ”が、社会の中に組み込まれていたと思うんです。でも、今はどうだろうか。公園も禁止事項の掲示ばかりでそんな場所は減ってるんじゃないかと。

 

↑東京書籍の山本浩史さん(写真・左)は、伊藤さんと出会って10年以上のお付き合い。最初に手がけた『ナリワイをつくる』は、伊藤さんが講師をしていた講座に参加したことがきっかけで本作りが始まったそう。最近の二人の話題はもっぱら「子育て」にまつわることが多いのだとか

 

元木:なるほど。サブタイトルに「乱世で正気を失わないための暮らし方」とありますが、イドコロというのはコミュニティをつくろう! つながりを大切にしょう! と、SNSのように人々が集まって何かをする場所ではないと?

 

山本:はい。イドコロについて詳しくは、伊藤さんに語っていただこうと思いますが、個人的には本書の218ページにある『人間は正気を失うものであり、そこが可能性でもある。だからこそ思考の免疫系を手入れしよう』という見出しの表現に集約されていると思っています。イドコロは、人間本来のあり方を取り戻す時間と場所。自分という人間には、バグや狂気をはらむ部分があると認識しつつも、他者と対話できる状態、社会性を保てる状態を両立させることが大切なんだというのが、僕が共感した部分です。自分の中での“狂気”と“正気”の両立。それに“イドコロ”が役立つのではないか、と。

 

伊藤:唐突ですが、僕、公園にある木に向かって相撲のテッポウ稽古をしているんですよ。それって他人から見たら“正気じゃない人”かもしれないけれど、僕にとっては無料で体を鍛えられるイドコロのひとつなんです。コミュニティ化したり、これを流行らせようと「みんなでテッポウをやろう!」とは思っていないんです。他人への影響を気にせず各自が好きに過ごせて、かつ他人と共存できるイドコロを見つけておくのは大事なことです。

 

コロナ禍で仕事と人生のバランスが変化。
行き詰まりを感じたら“イドコロ”を見つけよう!

元木:コロナ禍で“イドコロの大切さ”に共感できる人は増えたと思いますが、伊藤さん自身はいつ頃から今のような活動をしていたのでしょうか?

 

伊藤:大学を出て11か月間だけサラリーマンをやって、それ以降はフリーランスとして活動しているので、12年くらい自分の考えたナリワイをして暮らしています。なので、コロナ禍で“働き方”が問い直されているとか、僕自身が何かを大きく変えた! っていうことはありませんでした。

 

元木:コロナ禍でも働き方は変わらなかったんですね。普段はどんな風にお仕事をされているのでしょうか?

 

伊藤:執筆活動や農業に関わる仕事、今は行けませんがモンゴル遊牧生活のワークキャンプを企画するなど、細かく分けると10個前後の仕事をしています。ここ数年は育児も主要な活動のひとつです。人間は自営業が大半だった歴史の方が長いので「自営業が選択肢として増えたほうが暮らしやすい」と思っているんですよ。ただ、日本では近代化で減っていて、自営業の減少に並行して働き方についての悩みや問題が出現してきた。そんなわけで、勝手ながら年に1つずつくらいのペースで新しい自営業を生み出しながら働いています。それも、いきなり1本で年間500万円分の自営業ではなくて、年間30万円くらいからの仕事を組み合わせる。このサイズなら意外とたくさんあるし、競争がない。10個やれば300万円になる。これは安定性の面でも良くて、実際コロナ禍でできなくなったナリワイもありましたが、空いた時間を他のナリワイに投入すればカバーできました。あと、一番いいのは、いろいろやるのは飽きないで楽しいところですね。ナリワイは基本的に自分の生活の疑問からスタートするので、それぞれが相乗効果を生むのも面白いです。

 

元木:詳しくは前著の『ナリワイをつくる』にも書かれてありますが、生活の延長に仕事があるような働き方をされていますよね。お話を聞いているだけでもとっても楽しそう。逆に今っぽいというか、やっと時代が追いついたな! という感じはありませんか?

 

伊藤:う〜ん、時代を先取りしようという意識よりも、何が健康的かを考えてやり方を試行錯誤してきたので、時代の変化は正直感じていないですね。昔は兼業が当たり前で、豆腐屋と石材屋と農家の三役なんて人もたくさんいましたし、会社勤めを“宮仕え”というぐらいには特殊だったわけで、本来の働き方を考えてみると、兼業するのが定番だったのでそこに戻っている感覚かもしれません。

 

山本:僕はサラリーマンなので肌で感じる部分も多いのですが、出版から10年近く経って、とくにコロナ禍を経て、急激に世の中の会社組織がナリワイ化してきたように感じています。「この仕事一本で食っていく!」って感覚も終身雇用もなくなって、副業も少しずつ許可されて、オフィスにいく必要もなくなって、俗に言うワークライフバランスが整ってきたなーと。

 

元木:“ナリワイ”化が進み、人々には“イドコロ”が必要な時代に入ってきたわけですね。でも、この時代の流れに戸惑っている人も多くいると思うんです。家での仕事に行き詰まっている人や、どのようにワークライフバランスを整えたらいいか迷っている人は、どうしたらいいのでしょうか? いきなり“イドコロ”を見つけようと思っても難しいような気がして……。

 

伊藤:“イドコロ”に関して一番手っ取り早いのは、公園に行くことだと思います。お金がかかりませんから。そこで何をするでもなくぼ~っと過ごしてもいいし、木陰でお仕事をしてもいいし、お弁当を食べてもいい。体操したり、読書したり、自分のお庭の延長として活用してみればいいと思いますよ。

 

↑伊藤さんのイドコロのひとつに「給湯流」という活動があります。サラリーマンのための給湯室で茶会を行う茶道一派で、この取材の日も素敵なコップとお茶を持参してくれました

 

家の中でもできる“イドコロ”づくり

元木:確かに、公園で取材するのも実際にやってみると「意外といいな」って思いました。

 

伊藤:そうなんですよ。テレワークが増えて、仕事だから家でもリモートで怒られたりもするわけじゃないですか? 生活と密着している場所なので、ふと家の中で怒られたことを思い出して嫌な気持ちになっちゃう人もいます。こんな時こそ、家以外にも落ち着ける場所をつくるのも大事だと思います。

 

元木:私の場合、家の中でも同じ場所にいるのが苦手なタイプなので、午前中はリビングで、午後は椅子を変えて、夕方は立って仕事するとかコロコロ家の中で働く場所を変えています。

 

↑元木さんのお兄さんは、小学3年生の頃からトイレに国語辞典を持ち込み「あ行」から順番に読んでいるのだとか。それも彼にとってのイドコロだったのだとこの取材中に感じられたそうです

 

伊藤:それもいいアイデアですね! 書斎があれば切り替えられるかもしれませんが、それもなかなか難しいので、自分が「いい感じ」って思える場所で、心地よい時間を過ごせているのなら、家の中にもイドコロはつくれます。これは主観が大事です。

 

僕の家では、コロナ禍に時間ができたので縁側を作って、子どもが寝静まったあとに10分くらいそこで過ごしたりしています。あと最近では作業部屋を家の近所に借りている人も増えましたよね。こういう話をすると場所をつくるまではできるのですが、習慣にならずに終わってしまう人が多いので、「イドコロを使い続ける工夫」も大切だと思います。縁側だったら、行きたいなと思えるような場所と時間を作ることですね。

 

元木:たしかに! そういう観点から考えると私のイドコロはキッチンにもあるかも。冷蔵庫の中身を使い切った! ひたすら切り刻んだ! おいしいしいご飯ができた! ってキッチンでしか味わえない心地よさがあるんですよ。ひとりで心地よくなれる空間も、イドコロと呼んでいいのでしょうか?

 

伊藤:イドコロはかなり主観的な概念なので、私がここにいる、こうしている時間が元気になれると感じられればイドコロでいいと思います。例えば、トイレ掃除がすごく好きな人がいたら、その人にとってトイレという場所と掃除する時間っていうのがイドコロになっている。「行為の時間」と「場所」をイドコロとするのなら、キッチンもその人にとってはイドコロになる。

 

これからの時代に求められるのは、
意味不明な“ゲーム”に参加しないこと

元木:本の中でもたくさんの事例が紹介されているので、自分にあったイドコロづくりが楽しくできそうですね。今、伊藤さんが考えている社会の問題、これからの時代に求められていることってどんなことだと思いますか?

 

伊藤:社会の問題って、一点突破では解決できないことがほとんどです。だとすると、その問題まで辿り着ける体力が必要。しかし、いまの社会全体の雰囲気は、起死回生を狙いすぎて気持ちの余裕もなくなっているように感じます。まずは問題を解決する以前のところ、「自分を元気にしよう」ってことが求められているのではないでしょうか。社会全体としては、元気を回復しやすい環境を整えることが求められていると思います。

 

元木:たしかに、ひとりひとりが元気に生きる。そしてしっかり生きよう! ということが大事ですよね。

 

伊藤:そのための環境整備が大事です。各人が課題に感じている問題にしぶとく対応できるような体力がつく。僕個人としては、「他人のことを気にしすぎる社会」を問題に感じています。日本だと、自分がどうしたいよりも他人の目を気にする傾向があると感じます。僕がよく訪ねているモンゴルの遊牧民の方たちは、何事も交渉が前提なので、まず自分の要望はぶつける。そしてモノは貸し借りが基本なので生活文化に協力することが組み込まれているんですよ。モンゴルのような文化が取り入れられないかな、と考えたりしています。

 

元木:モンゴルですか?

 

伊藤:モンゴルの遊牧民は、生活用品の7割を貸し借り自作で賄っていて、残りを購入しているそうなんです。お金の存在感が相対的に小さい。日本の場合だと、「貸した人がえらい」「たくさんモノを所有している人がすごい」って価値観ですけど、モンゴルは「人にモノを貸して当然」という価値観が浸透しています。彼らの場合は「ケチだ」と言われることを恥だと考えているんです。つまり自分が持ってなければ交渉して借りればいいし、同時に自分も基本的に頼まれたら貸す。

 

↑この“ロンT”ならぬ「論T」も、伊藤さんの活動のひとつ。モンゴルの遊牧民がどんな生活をしているのか調査した論文をロンTにプリントしたというユーモアあふれる商品。この論Tを着て、この論文を書いた人をスピーカーに招くオンラインイベントも8月末に開催される予定なんだとか

 

元木:経済としてのモノやカネではない、持ちつ持たれつな関係が上手に回っているんですね。今の日本のままでは、なかなか難しい仕組みかもしれませんね。

 

伊藤:モンゴルは、モノは貸すのが基本という道徳感があり、子どもの頃から交渉力を鍛えられてますからね。今の日本の場合、格差とか分断社会とも言われていますが、内実は経済至上主義のチキンレースで、その“ゲーム”に自ら参加しない、参加度を減らすことも選択のひとつだと思うんです。いきなり“霞で生きる仙人”とまでは行かずとも、巻き込まれる割合を減らす。YouTubeのヘイト動画を批判すること自体が、意図せず再生回数に貢献してしまうような意味不明な経済ゲームが展開されている時代です。まあ、仕組みを直接変える! という手段ではないので、やや消極的ではありますけど。

 

元木:消極的ではないですよ、伊藤さんらしい選択だと思います。モンゴルの遊牧民のように仕組みができていればいいですが、今の日本にはお金はあればあるだけいいっていう人たちと、循環型の理想的な社会を目指そうと奮闘する人、いろんな価値観が混在して渦巻いていますからね。

 

伊藤:そうですね。人間、平和な平常時ならうまい儲け話に呑み込まれないですが、老後は2000万円貯蓄が必要だとか、投機で1日で数億円儲けたみたいな情報を浴びていると、人間だから恐怖を感じるし、早くそこから逃れたいから判断が狂うこともあると思います。そんな時に自分を取り戻せるイドコロがあれば、不安も軽減できるんじゃないかなと。

 

元木:本当にそう思います。定年のないナリワイ、そして自分を元気にしてくれるイドコロどちらも日々探しながら、過ごしていきたいと思います。まだまだお話ししたいことがたくさんあるけれど、本日はこの辺で。ありがとうございました!

 

【プロフィール】

ナリワイ 代表 / 伊藤 洋志

1979年生まれ。香川県丸亀市出身。京都大学にて農学・森林科学を専攻し修士号(農学)取得。やればやるほど技が身に付き、頭と体が丈夫になる仕事をナリワイと定義し、次世代の自営業の実践と研究に取り組んでいる。主なナリワイは、各地の農産物を収穫販売する助っ人的農家「遊撃農家」や、床張りDIYを推進する「全国床張り協会」、「モンゴル武者修行」など。野良着メーカー「SAGYO」のディレクターも務める。