
10歳で筋ジストロフィーと診断された木戸奏江さん(28)は2010年、高校1年の時に障害者手帳を取った。
母親が「障害者手帳を取ろう!」と明るい声で提案してきた。
今後の進学や就職で支援を受けやすいようにとの理由からだった。
「そうしよう。障害者手帳を持っていれば、誤解も減る。動きが遅くても、笑顔がつくれなくても、それには原因があると説明しやすい」
木戸さんの半生を描く4回連載の2回目です。病気を抱えながら社会について考えていく中で、人生の転機が訪れます。
大学では、障害者と社会の関係について学ぶため、社会福祉学と教育学を専攻した。
当初、奈良県の自宅から大阪の大学までバス、電車、自転車で1時間半かけて通学していた。
しかし、大学3年の時、自転車に乗ることができなくなり、代わりに電動車いすに乗るようになった。
すると、ある日、知人から「車いすになっちゃったのね」と悲しそうな顔で声を掛けられた。
活動的に動きたいと、前向きな気持ちで乗った車いすだったのに、そんな風に思われるんだと違和感をもった。
電車の乗降などでは人から助けてもらう機会が増え、申し訳ないという気持ちになることも多くなった。
実家からの通学はやめ、企業の奨学金を受けながら、大学の近くでひとり暮らしを始めることにした。
授業では、「障害の社会モデル」という考え方を知った。
社会は多様な人々が生活する場であるはずなのに、障害者は生活しにくいという状況がある。
それは、社会の仕組みに原因があるのであって、障害者の体に原因があるのではない、というとらえ方のことだ。
社会のせいにしていいの?
衝撃を受けた。
ずっと、体が動かない自分が悪いと思っていたので、目の前がひらけるようだった。
「障害者」にだっていろんな顔
原因が社会にあるとわかれば、周りの人と協力して、解決していくことができるのかもしれない。
大学がある駅にエレベーターの設置を求める活動を始めた。
米ボストンで、公共交通のバリアフリーについて学ぶ5カ月間の研修にも参加した。
米国人に交じって、障害者の権利について学んだり、障害とアイデンティティーについて自己分析するプログラムを受けたりするなかで、自分を苦しめているものが何なのか、わかった気がした。
それは、障害者は「障害者」としてしか人から見られないことへの違和感だった。
障害者にだって、「大学生」「女性」「日本人」のようにいろんな顔があるのに、それを無視されているような感覚があった。
「障害者」からもっと自由になりたい。
そんな時、インターネットでかっこいい電動車いすを見かけた。未来の乗りものみたいだった。
「車いすや障害者のイメージが変えられるかも」
木戸さんはこの車いすメーカーでインターンをし、就職した。
大学卒業後は、当時オフィスがあった横浜市に移り住んだ。
会社ではマーケティングを担当するようになった。
就職後に知り合った人と恋愛もしていたし、いずれ結婚したいとも考えていた。
でも、子どもは産めない。
特別養子縁組で迎えよう。
それは高校時代からぼんやりと決めていたことだった。
筋ジストロフィーの専門医らからなる「筋ジストロフィーの標準的医療普及のための調査研究班」によると、両親のいずれかが顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーを患っている場合、50%の確率で遺伝するとされている。
「筋ジス患者だから産まない」。そんな言葉をインターネットなどで度々見かけ、いつしか「私は産んではいけない」と思うようになっていた。
「夫に介護させたくない」決意の結婚
2019年10月、8カ月間の同居を経て、同僚のよしゆきさんと結婚した。
よしゆきさんと居るときは楽しく、自分の病気や障害のことを忘れさせてくれる。結婚したいと思った。
障害者と結婚するのに覚悟はいらなかったかと、よしゆきさんに尋ねると、「特に覚悟はない。障害が理由で起きる生活の問題は、家電製品や家事代行を利用することなどで解決できる」。そんな答えが返ってきた。
夫に介護はさせたくない。助けてもらうために結婚するのではない。それが木戸さんの決意だった。
就職後は、横浜労災病院の脳神経内科に半年に1度ほど通院した。
中山貴博医師(53)は、木戸さんと同じ型の患者を多く診察してきたが、木戸さんは症状が現れた年齢が早く、病状は重いと感じていた。
定期検診ではX線や血液の検査をするほかに、最近の生活の様子を聞く。
結婚の報告を受けた定期検診で、子どもについてどう考えているのか、中山医師は尋ねた。
木戸さんは養子縁組を考えていると伝えたが、出産についても聞いてみた。
中山医師はいつもの調子で答えてくれた。
自然分娩(ぶんべん)での出…