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ももの17歳のいとこが彼氏と五日間ほど泊まりに来てました。
でも、おばあちゃんに対して態度がかなり悪くって、
「おいおい、断りもなく彼氏つれて勝手に泊まりにきててその態度はないでしょう」
ってつい思っちゃったんだけど、

でもこれも羞恥心からきてるんだろうかと思ってみてみると、やっぱりそうで、
「自分は粗末に扱われている」ということに対する恥ずかしさ、
「粗末にしか扱われない自分」に対する恥ずかしさというのが、
態度の悪さの奥にあるのが見えたんです。

まあ確かにみんなそれぞれ事情があって、
彼らに対するもてなしはミニマムではあったのだけど。

そんなわけでいまいち機嫌の悪い17歳がふたりいたわけで、
そうなるとやっぱりつい
「鬱陶しいな、早く帰ってくれないかな」
って思ってしまっていたのだけれど、

でもそこでシュタイナーの
「思春期の子どもたちは、どれだけ態度が悪くても、その心の奥底には、理想に対する強い渇望がある」
そして
「その前に立つ大人は、その理想や真実に対する希求に答えられるような魂の状態を持っていなければならない」
という言葉を思い出して、

「理想に対する渇望があるなんて全然見えないけどなあ」と思いつつではありましたが、
でもそれでも、シュタイナーのその言葉の中にある確からしさに助けられて、
自分の状態を可能な限り整えて、彼らに接していたら、
ふとした瞬間に、彼女の中に、
「人間というものを理解したい」
と願う強い思いがあるのが分かったのです。

それが分かったときに、
畏敬の感情のようなものを彼女のその思いに対して感じて、
少し身震いを覚えながら黙ってしまったのですが、
何も言葉に出して言わなくても、
何かが彼女に伝わったような感じで、
彼女の態度に、なにかまっすぐなものが感じられるようになったのです。

今日、彼らは帰って行ったんですが、
駅まで送っていってさよならしたときには、
何か暖かいものが私たちの間にあって、
そのとき本当に、
「ああ、あのふたりも、かけがえのないふたつの魂なんだ」
と理解したんです。

あの本、読んでおいてよかったな、ちょうど間に合ったんだな、と心から思いました。
そんなちょっとした話でした。

思春期のこどもに対するシュタイナーの見解について書いた記事はこちら。
http://blog.livedoor.jp/akikoasakura/archives/51797567.html