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<コロナで露呈し、拡大した貧富の格差を各国はどう是正するのか> *この記事は、ニッセイ基礎研究所レポート(2021年8月27日付)からの転載です。 1――はじめに コロナ禍による格差拡大への懸念は、世界共通の課題として意識されつつある。世界に先駆けて景気回復が進んだ米国では、富裕層に対するキャピタルゲイン課税率を引き上げ、その徴収分を子育てや教育支援などに充てようという構想が議論されている。日本では、コロナ感染の抑止という緊急課題への対応を未だ余儀なくされているが、その課題に目途が立つ頃には、生活困窮者向けの緊急支援策が、格差対応という長期的な対応に置き換わっていくものと思われる。これから実施される衆議院議員選挙では、格差是正に向けた「所得分配政策」が主要議題の1つになるだろう。 本稿では、コロナ禍で起きている所得格差の現状について整理し、倫理的な側面から語られることの多い格差問題について、経済学的な視点から捉え直し、所得格差が理論的にどのように解釈されているのかを読み解く。【鈴木 智也(ニッセイ基礎研究所)】 2――「K字型」が示唆するもの 新型コロナウイルスの感染拡大に伴う影響は、濃淡をもって社会に広がっている。コロナ禍の今、観察できる格差は「資本市場と実体経済の回復格差」「実体経済における業種間格差」の2つがある。これらの事実は、個人の「所得格差」が拡大していく環境にあることを示唆している。 1|コロナ禍で見られる2つの格差 1つ目の「資本市場と実体経済の回復格差」は、景気反転局面で生じる資産効果による格差である。[図表1]は、日経平均株価と有効求人倍率の月次変化を見たものであるが、金融取引の行われる資本市場は4月頃には回復をはじめ、すでにコロナ前の水準を回復する一方、商品やサービスの生産販売に対して対価を支払う実体経済は、有効求人倍率の推移が示すとおり、依然コロナ前の水準とは距離が開いている。これは、金融市場が先々の景気を先読みする性質を反映した動きであり、景気反転局面でよく見られる現象だ。コロナ禍においても、同様の事態が進行していることを示している。 ===== 2つ目の「実体経済における業種間格差」は、今般のコロナ禍特有の格差である。[図表2]は、2019年第1四半期の営業利益水準を100として、業種別に営業利益水準の変化を見たものである。感染拡大初期(2020年第2四半期)には、人流抑制があらゆる産業の経済活動を停滞させたが、ウイルスへの理解が進み、ワクチン接種も加速して来たことで、企業業績はコロナ以前の水準を回復しつつある。ただ、業種別に見ると、置かれた状況には違いがある。海外経済の持ち直しを受けて製造業は業績が回復する一方、人の移動や対面サービスの提供が限られる輸送業やサービス業は、業績の回復が進んでいない。リーマンショックの際には、海外依存度の高い産業ほど影響を強く受けたが、今般のコロナ禍では、生活娯楽関連サービスへの影響が大きかったことを示している。 2|コロナ禍で見られる非対称な影響 これら2つの回復格差は、所得環境の差として個人に投影される。国税庁の「申告所得税標本調査」に基づく資料によると、合計所得額に占める金融所得の割合は、合計所得階級が上がるほど高い傾向にあり、高所得者層ほど景気回復局面での恩恵は大きいと言える[図表3]。また、総務省の「労働力調査」からは、非正規雇用者比率の高い産業と、コロナ禍で影響を受けやすい産業が重なっていることが分かる[図表4]。非正規雇用者のうちおよそ7割は女性であり、2割程度を65歳以上の高齢者が占めている。職業能力形成機会が限られる非正規雇用者は、その大多数が未熟練労働者であり、相対的な所得は低くなっている。今般のコロナ禍では、非正規雇用者など社会的に脆弱な層に打撃が及ぶ一方、資本市場の回復による恩恵の多くは高所得者層に及んだと考えられる。この状況に対して政府は、雇用調整助成金や緊急小口資金、総合支援金などの様々な対策を打ち出しており、ここで見られる回復格差ほどには、所得格差が拡大していない可能性はある。しかし、所得階層で置かれた状況は真逆であり、「K字型」回復による2極化が所得格差を拡大させる方向にあることは、間違いないと言えるのではないだろうか。 3――経済学的な視点で見る所得格差 経済学には、経済成長と所得格差の関係を説明した理論が複数ある。それぞれ前提とする条件や経済思想、イデオロギーなどが異なるため、結果が対立したものも少なくない。そのため、万人が納得できるコンセンサスは、形成されていないというのが現状だろう。ただ、世の中の賃金や所得の分配に対する規範的な考え方が変わる中、両者の関係を語る論調には変化も生じている。ここでは、両者の関係を説明する主な理論や見解などを整理し、近年見られた論調の変化について事例を紹介する。 ===== 1|「経済成長」 が「所得格差」 に及ぼす影響 【1】クズネッツ仮説 : 経済の発展段階で異なる格差への影響 経済成長と所得格差に関する代表的な理論として、よく引用されて来たのが「クズネッツ仮説」だ。米国の経済学者であるサイモン・クズネッツは、米国、英国、ドイツの発展過程と所得分布を観察し、経済成長と所得格差の関係は、経済の発展段階に依存するという仮説を提唱している。この仮説では、発展段階に入る前の農業社会では、人口の大多数が必要最低水準の所得で生活しているため、国内格差は小さい状況にあるが、工業社会に移行していく過程で、熟練労働者の所得は上昇していくため、経済発展の初期段階では格差が拡大していく。しかし、さらに経済発展が進み、農業部門から工業部門へ労働力の移動が進むと国内格差はピークを向かえ、その後、生産性の低い農業部門は縮小し、工業部門が拡大していくことで、国内格差は縮小して行くとされる。つまり、経済発展の初期段階では、経済成長と所得格差の間には「正」の関係があるが、発展段階が進み経済が成熟していくと、その関係は「負」に変わることを意味している。この両者の関係を、縦軸に「所得格差を示す指標」(ジニ係数など)を取り、横軸に「経済の発展段階」(1人あたりGDPなど)を取ると、上に凸の曲線を描くことから、「クズネッツ仮説」は「逆U字型仮説」とも呼ばれることもある。 【2】トリクルダウン仮説 : 高成長の追求による格差解消 経済の発展段階が進めば自然と格差は解消していくという「クズネッツ仮説」から発展した考え方に「トリクルダウン仮説」がある。この仮説は、所得税率や法人税率の引き下げ、規制緩和などの高所得者層や大企業等に恩恵の大きな経済政策を実施すれば、投資や消費が活発化して経済の成長が加速するため、その恩恵は低所得者層にも自然と行き渡るとする考え方だ。成功事例としては、中国の鄧小平氏が1980年代に提唱した「改革開放」「先富論」が挙げられるとの見方もあるが、ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・E. スティグリッツ氏やポール・クルーグマン氏等が理論の正当性を疑問視するなど、仮説に対する見方は分かれている。 【3】トマ・ピケティ「21世紀の資本」 : 資本主義のもとでの格差拡大は不可避 なお、経済成長は、格差を拡大させるとの主張もある。「21世紀の資本」の著者であるトマ・ピケティは、資本主義の原理的なメカニズムのもとで資本収益率は経済成長(国民所得の伸び)を上回るため、資本所有で生じた不平等は累積的に拡大し、経済格差は拡大していくと主張している。また、「クズネッツ仮説」において発展初期で見られる格差縮小は、2度にわたる世界大戦のあとに資本を再蓄積する必要が生じた結果、一時的に高い成長が実現したからだとする見解を示している。ただ、このピケティ氏の主張に対しては、著名な経済学者であるグレゴリー・マンキュー氏等から批判の声が上がるなど、格差拡大が資本主義に内在するメカニズムによって生じるとする主張には、今の専門家の間で議論が分かれている。 ===== 2|「所得格差」 が「経済成長」 に及ぼす影響 【1】肯定的な見解 : 所得格差が経済成長を「促進」 経済学では、一般的に「公平性」と「効率性」はトレードオフの関係にあることを想定している。そのため、増税のような課税後所得の分配を公平にするための政策は、労働供給を歪め、資本蓄積を抑制するため、経済成長に悪影響を及ぼすと考えられる。すなわち、高額な課税は勤労意欲の低下を招き、総貯蓄の減少が投資抑制につながる結果、労働供給の減少と資本蓄積の抑制要因となるため、生産にマイナスの効果を及ぼすという考え方だ。一般的に所得の関数として表わされる貯蓄は、所得が増加すると増加し、所得が減少すると減少する関係にあり、追加的な所得の増加に対する貯蓄の割合(限界貯蓄性向)は、所得が増加することで逓増する。そのため、高所得者層における所得の拡大は、総貯蓄が増加することで資本蓄積を促進し、長期的な経済成長を高めると考えられる。また、機会均等が確保されていれば、所得格差は労働意欲や起業家精神を盛り上げるため、経済成長にはプラスの影響が及ぶという考え方もある。 【2】否定的な見解 : 所得格差が経済成長を「抑制」 一方、所得格差が経済成長に否定的な影響を及ぼすとする見方には、低所得者層の借入制約や経済の効率性の低下、社会政治上の不安定化に伴う治安維持や取り締まりのための政府資源の浪費、といった要因が挙げられる。例えば、借手と貸手の間の情報が互いに限定されている場合(情報の非対称性)、または、債権者による債務回収を制限するような制度が取られている場合(制度の不完全性)には、低所得者層は借入制約に直面して、将来的に高いリターンを得られる教育や職業訓練などへの人的投資の機会を失い、経済成長が抑制されるという考え方だ。また、極端な所得格差が低所得者層の不満や怒りを高め、犯罪や暴動、その他の非生産的な活動へとつながり、社会政治上の安定が損なわれて、経済成長が阻害されるとの考え方もある。政策決定においては、ロビー活動やレントシーキングが活発化して、政策が貧弱になり、非効率な政策が実施されることでも、経済成長は阻害されると考えられる。 ===== 3|格差是正の必要性に関する論調の変化 ここまで見てきたように経済成長と所得格差の関係を説明する議論は、まだ万人が納得するようなコンセンサスはできていない。また、これまでに世界で行われた様々な実証研究でも、その結果は、肯定的、否定的、関係自体が明確でないとするものなど様々だ1。ただ、足元の変化として意識されるのは、従来のように経済成長を通じて、所得格差が自然と縮小していくとする見方だけでなく、所得格差が経済成長に悪影響を及ぼすとの認識が増えて来たことだ。 後者の見方として注目されるのは、2014年に国際通貨基金(IMF)と経済協力開発機構(OECD)が公表したレポートがある。IMF2によれば、所得格差は経済成長の抑制や、経済成長の持続可能性を低下させる可能性がある一方、所得再配分政策は一定レベルに留まる限りにおいては、経済成長への悪影響は確認されないと説明している。また、翌年2015年に公表されたレポート3では、「貧困層・中間層の所得シェアが1パーセントポイント拡大すると、その国のGDP成長率が5年間で0.38パーセントポイントも増大する。対照的に、富裕層の所得シェアが1パーセントポイント上昇すると、GDP成長率は0.08パーセントポイント縮小する」と分析している。同様にOECD4は、所得格差の趨勢的な拡大は、経済成長を大きく抑制していると分析し、「租税政策や移転政策への取組みは、適切な政策設計(対象を適切に絞り込み、最も効率的なツールを重視した政策)の下で実施される限り、成長を阻害しない」と結論づけている。そのうえで、政策的な対応としては、現金移転のような貧困防止対策だけでは不十分であり、質の高い教育や訓練、保健医療などの公共サービスへのアクセス拡大などが必要であると指摘している。 4――日本における所得格差の現状 所得格差の大きさを示す指標には、様々なものがある。代表的な格差の指標であるジニ係数は、所得分布の均等度を示す指標であり、所得分布が完全に平等であれば0になり、完全に不平等であれば1になる指標である。また、政策的な視点から注目されることの多い相対的貧困率は、一定基準(所得中央値の半分)を下回る所得しか得ていない者の割合を表す指標である。この2つの指標から日本における所得格差の現状をみると、次のようになる。 ――――――――――― 1 Kholeka Mdingi,Sin-YuHo,” Literature review on income inequality and economic growth” MethodsX vol.8 (2021) 2 Jonathan D. Ostry, Andrew Berg, and Charalambos G. Tsangarides, “Redistribution, Inequality, and Growth” IMF STAFF DISCUSSION NOTE, February 2014. 3 Era Dabla-Norris, Kalpana Kochhar, Nujin Suphaphiphat, Frantisek Ricka, Evridiki Tsounta, “Causes andConsequences of Income Inequality: A Global Perspective” IMF STAFF DISCUSSION NOTE, JUNE 2015. 4 OECD Social, Employment and Migration Working Papers, December 2014 ===== まず、ジニ係数の推移から見てみると、税金や社会保険料などを控除する前の所得である「当初所得」における格差は、1990年代後半以降に拡大傾向にあるものの、再配分後の再配分所得で見た所得格差は、ほぼ横ばいで推移している[図表5]。これは、税制や社会保険制度などの所得再配分政策が、全体としてみれば、所得格差の拡大を抑制する機能を果たして来たと見ることができるだろう。なお、ここで見られる当初所得における格差の拡大は、高齢化に伴う年齢構成の変化に要因があるとする見方がコンセンサスとなっている。実際、家計の所得格差を要因別に分解した内閣府の分析5では、高齢化等の年齢構成の変化は、常に格差を広げる方向に働いており、その程度も大きいことが指摘されている。日本で所得格差を見る際には、人口構造の変化を割り引いてみることが適切だと言える。 次に、相対的貧困率については、2000年代半ば頃まで上昇傾向にあったものの、2010年代以降は横ばいないし低下傾向の推移となっている。上昇傾向にあった要因は、ジニ係数と同じく高齢化によって説明されるが、最近の横ばいないし低下傾向での推移は、所得環境の改善を反映したものであると考えられる。なお、相対的貧困世帯の特徴としては、年齢別では高齢者が多いが、世帯類型別では単身世帯やひとり親世帯に多いことが挙げられる。特に子どもがいる現役世帯の中で、ひとり親世帯の相対的貧困率は高く、その半数近くが相対的貧困状態に置かれている6。 なお、OECDデータを用いて所得格差の水準を国際比較してみると、日本の所得格差は、南アフリカや中国、インド、ブラジルのような極端な水準にはないものの、主要先進国の中では比較的高い水準にあることが分かる[図表6]。例えば、G7諸国の中で見ると、ジニ係数は米国(0.390)と英国(0.366)に次いで3番目に高く、相対的貧困率は米国(0.178)に次いで2番目に高い。ただし、この結果を見る際には、国際比較で利用される統計が変わると、見方が大きく変わる点に注意が必要だろう。例えば、日本のOECDデータは「国民生活基礎調査」をもとに算出されるが、これを「全国消費実態調査」(ジニ係数=0.281、相対的貧困率=9.9、2014年時点)を用いて比較すると、日本の所得格差はドイツやフランスなどに近くなり、主要先進国の中で高いとは言えない水準に落ち着くことになる。国際比較における所得格差は議論の分かれるところであり、ある程度幅を持って見ることが必要である。 ===== 以上を踏まえれば、日本の所得格差について、その水準的な議論は分かれるところであるが、全体的な格差の拡大は、ひとまず抑制された状況にあると言える。ただし、所得階層が低いところでは、ひとり親世帯で相対的貧困率が高い状況にあるなど、税制や社会保障などの再分配機能が、十分に機能していない面もあり、このような層を特定して的を絞った費用効果的な対策を取っていくことが、今後の課題となるだろう。 なお、この先の所得格差については、気になる研究結果も示されている。例えば、親と同居する未婚者に注目した研究7では、非正規雇用や失業によって本人収入が減少した壮年未婚者(35~49歳層)の男性で、親との同居によって生活費などを補填する傾向にあることが指摘されている。このような状況は、世帯調査を通じて把握されない部分であり、将来的に所得格差を拡大させる要因として顕在化する可能性が懸念されるところである。コロナ禍による影響も含め、格差拡大の状況には、一層の注意を払っていく必要があると言える。 5――おわりに 本稿では、所得格差と経済成長の関係について、理論面を中心に整理してきた。学術的には、両者の関係にコンセンサスは形成されていないものの、低成長が続く日本では、所得格差の是正が倫理面だけでなく、経済成長にもつながり得るとする視点は重要である。日本の所得格差は、ひとり親世帯や子どもの貧困、格差の固定など多様な側面を持つことから、今後も重要な政策課題として注目を集めるだろう。 ――――――――――― 5 内閣府「平成21年度 年次経済財政報告」 6 厚生労働省「国民生活基礎調査」(2019年) 7 白波瀬佐和子,「人口構造の変化と経済格差」日本労働研究雑誌 2018年1月号(No.690) 【参考文献】 ・Kholeka Mdingi,Sin-YuHo,” Literature review on income inequality and economic growth”