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 アメリカのジョー・バイデン大統領は8月末、トランプ前政権が2020年2月にタリバンと交わした和平合意に基づき、2001年9月の同時多発テロ事件後からアフガニスタンに駐留させていた米軍を撤収した。同国史上最長となったアフガニスタン戦争を終結させるためだったが、タリバンは米軍の撤退開始後から急速に勢力を増大し、あっという間に首都カブールを陥落させた。20年もの長きにわたって続いた戦争は、このようにして終結した。

難民自身が撮影した逃避行の記録
 戦争が終わった後に訪れたのは、平和ではなかった。現地ではタリバンの復権を恐れた市民が空港に殺到し、混乱を極めた。中には、何としてもアフガニスタンを脱出しようと米軍機にしがみつき、離陸後に落下して命を落とす者もいた。さらに、イスラム国系組織の自爆テロによって多くの死傷者も出た。
 その翌日、自衛隊機で唯一脱出した日本人ジャーナリストの安井浩美さんは、弊社ユナイテッドピープルで企画したオンライントークイベントの打ち合わせの際にこう話した。

 「めちゃくちゃですよ!政府も、経済も。銀行も機能しない。もともと60%が貧困率なのに、来年は90%を超えてしまうかもしれない」
 さらに安井さんは、人々がアフガニスタンからの脱出を望んでいるのは、タリバンへの恐怖だけでなく、将来への絶望感からだと続けた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の予測によれば、2021年末までに50万人が難民化するという(※1)。

 「難民」。漢字で書けばたった2文字だが、難民になる前は、皆、普通の生活をしていた、われわれと変わらない人々だ。ユナイテッドピープルは、まさにこのことを伝えるために制作された映画『ミッドナイト・トラベラー』を配給している(https://unitedpeople.jp/midnight/)。

 2019年にサンダンス映画祭で審査員特別賞を受賞するなど、国際的に高い評価を受けているこの映画は、アフガニスタン難民自身が制作したという点でも注目されている。

 時は2015年、タリバンに殺されそうになったハッサン・ファジリ監督が、生き延びるために妻と二人の娘を連れてヨーロッパまで5600kmの道のりを逃れる様子を彼ら自身が3台のスマートフォンで撮影したという、前代未聞の映画なのだ。命からがら国境を越えていく彼らの姿に、誰もがこれ以上ないだろうリアリティを感じるだろう。

『ミッドナイト・トラベラー』の一場面 ©2019 OLD CHILLY PICTURES LLC.

 3年にわたる逃避行の末、ファジリ監督一家は今、ドイツで安全に暮らしている。しかし、今年の夏以降、アフガニスタンでは、かつての監督と同じようにタリバンから命を狙われ、祖国を脱出しようと苦しんでいる人々が無数にいるのだ。

ハッサン・ファジリ監督との運命の出会い

 映画『ミッドナイト・トラベラー』を配給することになったのは、偶然だ。2019年、筆者が毎年のように参加しているアムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭のパーティー会場で、各国の映画関係者と雑談している時に紹介されたのが、ハッサン・ファジリ監督だった。500人ほどいた会場の中、飛び跳ねるように小走りで駆け寄ってきた彼は、興奮して落ち着かない様子だった。手渡されたのはコピー用紙に印刷された名刺で、『ミッドナイト・トラベラー』監督と書かれていた。

ファジリ監督から手渡された簡素な名刺。 『ミッドナイト・トラベラー』監督、と書かれていた(筆者提供)

 何度か頭の中で映画タイトルを読み上げ、はっと気が付いた。あの『ミッドナイト・トラベラー』の監督だ!

 作品は、ユナイテッドピープルが国連UNHCR協会と共催している「WILL2LIVE Cinema」で取り上げ、映画も見ていたため、一家がたどった5600kmの苦難の道のりが蘇ってきて、思わず両手を掲げて彼とハグを交わした。
 そして、まくし立てるように聞いた。
 「奥さんは?子どもたちは元気?」
 「無事にドイツで生活を始め、みんな元気ですよ!」

 この時のファジリ監督は、屈託のない笑顔でパーティー会場を小走りで駆け回っては、時折、ジャンプして喜びを表現する、おちゃめで明るい風変わりな人物という印象だった。彼がこれほど興奮していたのは、難民として暮らすドイツから初めて国外に出るビザが下り、映画人としてオランダの映画祭に来ることができたためだった。

アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭で出会ったファジリ監督(右)と筆者(筆者提供)

 「こんな出会いってあるんだな。運命だよな」
 こう思った筆者は、『ミッドナイト・トラベラー』を日本で配給しようと決めた。

 「これは、命を救う映画なんだ」

 とはいえ、公開日程はなかなか決められなかった。帰国後まもなく、世界は新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われ、日本の映画館も休業や時短を余儀なくされたためだ。

 じりじりと日が過ぎる中、「いっそ、アメリカで同時多発テロ事件が起きたセプテンバーイレブンから20年目の歴史的な節目に合わせて公開しようか」と思い立った。カレンダーを確認すると、2021年9月11日は土曜日でタイミングも良かった。この日に劇場公開することを決めたのは、3月頃のことだった。その後、劇場公開直前の8月下旬、米軍の撤退とタリバンの復権によって、アフガニスタンが大混乱に陥ったのは、冒頭に書いた通りだ。

 公開前日の9月10日、会場のシアター・イメージフォーラム(東京)に行こうと、地元の福岡空港から羽田空港に向かっていた機内で、ふと、こんな言葉が下りてきた。
 「これは、命を救う映画なんだ」
 忘れないように、スマホにメモをした。そして、涙した。

 これまでユナイテッドピープルが配給してきた映画は50本に上る。その一つ一つが、使命を持った作品だ。しかし、配給する目的と意義をここまで感じた映画は、他になかったかもしれない。
 公開直前、ファジリ監督はNHKのニュースウオッチ9のインタビューに答えて、こう語った。
 「タリバンから殺されそうになり、アフガニスタンを脱出することにした時、私たちは、同じ境遇にある何百万人もの難民の声を代弁する義務があると思いました。そのために映画にしようと思ったのです。ドイツに生きてたどり着けるかどうか分かりませんでした。多くの人々が、道中、命を落としていましたから」
 そして、言葉につまり涙をぬぐう瞬間があった。

ファジリ監督はインタビューに答えながら涙をぬぐった(筆者提供)

 「多くの文化人が今なお国内に取り残されています。映画監督、人権活動家、記者、詩人らが、助けを求めているんです。しかし、私たちはその術を知りません。彼らは脱出したいと願っています」
 彼の言葉に、胸を打たれる思いだった。
 ファジリ監督がアフガニスタンを出て6年が経った「今」も、殺されそうな人々がいる。

アフガニスタンでカフェを経営する傍ら、映画制作を教えていたファジリ監督(本人提供)

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