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<「デルタ株の猛威を防ぐ」という大義のため、また人権がないがしろにされる事態が起きている> 新型コロナウイルスの感染拡大が収まらず、市民活動に厳しい規制や制限を課しているフィリピンで、規制に違反して検問を通り過ぎようとした一般市民に対して警備員が発砲、殺害する事件が起きた。 フィリピンの人権団体などが「過剰暴力であり、人権侵害である」として独自の調査に乗り出すとともに、警察当局に対して徹底的な捜査を求める事態となっている。 フィリピンでは警察官による過剰な暴力や殺害などによる人権侵害が以前から深刻化しており、最高裁判所は警察官にボディカメラ装着を義務付ける判断を下したばかり。犯罪容疑者などへの警察の「超法規的措置や違法行為」を予防することが期待されているところだった。 一方では警察官以外にもコロナ規制取り締まりにあたる地方行政機関所属の警備員や法執行機関職員などによる「権威を笠にした不法行為」が頻発しており、今回の射殺事件も規制区域に設けられた検問所にいた警備員による犯行だった。 おもちゃの銃所持が発砲理由か マニラ首都圏警察や地元メディアなどによると8月8日にマニラ・トンド地区の区域の教会に設けられた検問所で警戒に当たっていた地方行政機関の警備員セザール・パンラケ容疑者が検問を違法に通り抜けようとした廃品回収業のエドアルド・ゲニョガ氏(55)に対していきなり発砲。エドアルド氏はその場で射殺された。 エドアルド氏は当時木製のおもちゃの銃を所持していた、というがそれが「射殺の原因」なのかどうかは現時点では判明していないという。 事件当時は夜間外出禁止令が出ており、居住地域から外にでることは原則禁止だったという。マニラ警察では住民からの通報を受けてセザール容疑者を殺人の疑いで逮捕、取り調べを続けている。 フィリピンの人権委員会はこの射殺事件を受けて「不必要な殺害の可能性が極めて高い」として調査に乗り出す方針を示した。 人権組織「カラパタン」も事件を非難するとともに「警察をはじめとする捜査当局、法執行機関関係者などによる過剰な暴力行為を容認しているのは大統領である」としてドゥテルテ大統領に非難の矛先を向けている。 ドゥテルテ大統領は2016年の就任以来、麻薬犯罪関連容疑者に対する強硬姿勢を打ち出し、捜査現場で法に基づかない「超法規的殺人」を黙認する姿勢を示すなどして国内外の人権団体などから厳しい批判を現在も浴びている。 そのドゥテルテ大統領はコロナウイルスの感染が拡大し始めた2020年に、政府が講じる各種の感染拡大防止策の規制への違反者に対して「殺害も辞さない姿勢で厳しく対処せよ」との趣旨を警察に対して行ったという。 規制違反で150人以上殺害のデータも 国際的な人権監視組織「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」によると、2020年の4〜7月の4カ月間だけで155人がコロナ規制違反などで殺害されているというデータもある。 2020年4月には規制区域から出ようとした元兵士が、制止しようとした警察官に所持していた銃を抜こうとして、その場で射殺される事件も起きている。 ===== 人権委は「コロナ規制違反者の脅威に対抗するためとして、警察官、警備員などが実力行使しやすい状況が生まれているが、こうした傾向は社会に肯定的効果を与えない」の見解を示している。 また「カラパタン」も「警察官でもない地方行政機関の警備員がなぜ銃で武装しているのか」との疑問も投げかけている。 フィリピン国家警察によるとコロナ規制違反関係ではこれまでに約2万人が逮捕されているという。行動違反、移動違反、必要書類不携帯などで市民が抵抗したり従わなかったケースが多いという。 フィリピンではデルタ変異株の猛威もあり、8月に入って感染者が166万人を超え、死者も約3万人と東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10カ国中でインドネシアに次ぐ最悪の数字を更新し続けている。 このためドゥテルテ大統領は国民に対して「接種か刑務所行きか」などとして積極的なワクチン接種を呼びかけるとともに各種の感染防止対策の規制強化を実施している。 8月6日からは首都圏マニラとその周辺地域に最も厳格な「強化されたコミュニティ隔離措置(ECQ)」を実施。ECQはフィリピン政府、保健当局による「移動・経済制限措置」4段階の中で最も厳しい規制で、病院やスーパーマーケットなどの主要産業以外の営業自粛、短縮が求められ、市民は居住地区以外への移動制限がかけられ、夜間外出禁止令も出されている。飲食業はテイクアウト・デリバリーサービスのみに限定される。 警察官にボディカメラ装着へ こうしたなか、フィリピン最高裁は8月までにフィリピン警察のすべての警察官に対してボディカメラの装着を義務付ける決定を下した。 これは警察官による違法行為や人権侵害から容疑者や一般市民を守るためで、多くの国民から歓迎されている。 現地からの報道などによると、最高裁の決定ではすべての警察官にボディカメラと記録機器を着用することが義務付けられ、不正使用や不正アクセス、装着拒否などは罪を問われる可能性があるという。最高裁ではボディカメラ導入で「捜査時の暴力や死者を未然に防止するとともに人権活動家からの訴えも減少することが期待できる」としている。 警察官など治安当局による不当逮捕や暴力、超法規的殺人などの人権侵害の抑制、阻止にどの程度効力を発揮するのかは未知数だが、国家警察は現在必要な法律や内部ルールの整備を進め、ボディカメラ導入に全面的に協力するとしており、今後の取り組みが注目されている。 [執筆者] 大塚智彦(フリージャーナリスト) 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など