熊本での地震は東日本大震災の傷跡もまだ癒えない時に起こった大地震で、本当にびっくりしました。
東日本大震災当時の余震が思いだされ、被害にあわれた方、今も余震に不安な思いをなされている方のことを思うと本当に何とも言えません。
1 当事者
避難されている方、被災された方のことを思うと本当に何とも言えません。
ただ、その一方で、どうしても自分から距離が遠くなってしまうと実感として感じる思いが薄くなってしまうというが正直なところです。
そういう意味で、前回の記憶があるからこそ、本当に大変だと思っているわけで、それがなければどこまでわが身のこととして思いいたることができたか自信がないというのが正直なところです。
2 現地
何故、こんなことを書いているかというと、中国の環球網に「中国留学生亲历日本地震:连被子都能震掉」という記事が掲載されており、それを読んで思うところがあったからです。
中国政府は今回の地震について正式に哀悼の意を示しております。そして中国だけでなく、台湾やイギリス、ロシヤなども哀悼の意を示すとともに、支援の申し出も行ってくれているようです。
確かに甚大な被害でそうした申し出はありがたいと思う一方で、どこまで現地の状況をわかっているのか、どこまで自分が同じ目にあったらという思いでいてくれるかという思いもないわけでありません。
3 自国人
というのは、前記の記事の視点があくまで「中国人」だからです。確かに記事の前半部分で、熊本における被害の状況などを説明しております。
しかし、直ぐに20人の日本を旅行していた中国人が地震に巻き込まれたが無事脱出したとか、日本にきたばかりの4名の交換留学生が熊本を脱出したという記事になっているからです。
そして、最後は日本の地震に対する意識の高さ、小さいころからなされる教育の様子などについて記事がまとめられております。
念のために補足しておくと、私はこうした記事のつくりを批判しようと思っているわけではありません。
4 日本人
日本でもおそらく同じような報道になったでしょうし、下手をすれば、自国民のことについてより関心をもって報道していたかもしれません。
実際、東日本大震災前のニュージーランドで起こった地震の倒壊で大勢の日本人留学生が亡くなった時は、かなり日本よりの報道がなされておりました。
ま、当時は中国も同じようにかなり中国よりの(というか、かなり独自の)報道がなされてもいましたが(ニュージーランドの倒壊ビル捜索が再開したのは中国のおかげ?)。
5 最後に
つまり何が言いたいかというというとどうしても自分から遠いとそれだけ自分のこととして考えられるかという話です。
これは、悪い意味で言っているわけではなく、難民等今も世界中で大勢の人が苦しんでいますが、それを全て自分のこととして、考えていたら身がいくつあっても足りません。
どうしても自分に関係が強いか弱いかで線引きをしていくしかないわけで、悲しいかなそれが現実かと思います(フランスのテロを自分の問題として捉えること)。
当然、私にとって今回の地震はかなり関係が強いわけですが、そうでない世界の人は多いという話です。実際2008年のときの四川の大地震をどこまで自分のこととして思う日本人がいたでしょうか。
特にあの地震では中国の手抜き工事に焦点が当てられた結果(アジア一の立体交差橋で多数の亀裂発見)、
日本とは違うという意識を持った方が多いのではないでしょうか。
こうしたことも四川大地震を自分の問題として考えるという姿勢をより少なくしてしまったような気がしてなりません。