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 11月16日発行の「東北再興」第114号では、新潟を含めた「東北7県」のポテンシャルについて書いた。今年で第12回となる東北7県医療連携実務者協議会で演者の一人として発表した内容を文章に起こしたものである。
 なお、当日のスライドは以下である(PDF)。

なぜ「東北7県」なのか


なぜ「東北7県」なのか~その「最強」な理由


東北7県医療連携実務者協議会について

 だいぶ以前に紹介したことがあるが、東北六県と新潟の7県の病院の連携実務者でつくる「東北7県医療連携実務者協議会」という集まりがある。連携実務者というのは、病院の体外的な窓口となる「地域連携室」(呼び名は様々である)に所属している、他の病院や診療所、介護事業所など、関係する機関と連携する役割を持った職員のことである。
 病院と外部との連携が重視されるようになったのはここ20年くらいのことで、病院内の部署としては新しい部類に属する。当時、新設された連携室に配属された連携実務者は、手探りで外部と連携するための取り組みを行ってつながりを築いてきた。例えば、外部にも開放した研修会の企画、広報誌の充実、そしてそうした実務者同士が集う交流会や懇親会の開催などである。交流会や懇親会ではまさに「飲みニケーション」が行われ、連携実務者が重視する「顔の見える」関係づくりの上で大きな役割を果たした。
 通常、そうした交流会などは二次医療圏といって、都道府県の中で高度救急を除く通常の医療がほぼ完結するように設定された圏域内で行われることが多かったが、中には都道府県全体の会を開催するところも出てきた。しかし、県境を越えた同じ地方の連携実務者が一堂に会する会というのはなく、この「東北7県医療連携実務者協議会」が恐らく全国初である。2009年に第1回が仙台で開催されて以降、毎年1回、反時計回りに順番に7県のいずれかで開催し、最大で360名余の連携実務者が集まる大きな会となった。
 昨年と今年はコロナ禍で会場での開催はできなかったが、今年はオンラインに切り替えて、11月6日に開催することとなった。そこで演者の1人として何か話してくれと要望をいただいた。私は連携実務者ではなく、ただの「飲みニケーション」好きの編集者でしかないので、東北に思い入れのある立場から、そしてこの会を最初から見ていた立場から、「なぜ「東北7県」なのか~その「最強」な理由」と題して話すことにした。以下がその要旨である。この連載を読んでいただいている人には「耳タコ」な内容も多いかと思うが、しばしお付き合いいただきたい。

改めて「東北」の強み
 「東北」と言った場合、多くは青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島の6県を指す。東北地方、東北六県、奥羽(陸奥国+出羽国)というのはこの6県のことを言っている。ただ、この6県に新潟を加えた7県を「東北」と言う場合もある。この場合は東北圏、東北7県、東北六県と新潟、奥羽越(陸奥国+出羽国+越後国)と言うことが多い。7県が同じ枠組みに入る例としては、いわゆる東北三法、地方行政連絡会議法、全国総合開発計画、国土形成計画、北海道東北地方知事会議、東北経済連合会などが挙げられる。
 この7県についていろいろな角度から見てみると、「東北」の強みが見えてくる。まず、7県の「GDP」を算出してみると、3811億1400万ドルで、これはヨーロッパの50カ国と比べてみると上から16番目に当たる。デンマークとフィンランドの間である。ヨーロッパの中堅国並の経済規模を持っているのである。
 よく国内の食料自給率の低さが問題になるが、こと東北に関してはこれは当てはまらない。秋田の205%を筆頭に、山形、青森、新潟、岩手は100%を超えている。福島と宮城は70%台だが、これでも全国平均38%の倍近くある。いざとなれば自給自足できるくらいの農業生産量があるのである。
 日本の国土の5分の1は東北だし、全国の温泉の4分の1は東北に集中している。何度も書いているが、ビールに欠かせないホップの90%以上は東北で取れる。寒い地と思われているが、実は真夏日と真冬日を足した合計日数を全国の県庁所在地で比較してみると、東北7県の県庁所在地はすべて上位10位以内に入っており、気温の面では暑くもなく寒くもない過ごしやすい地域であることが分かる。

意識しない支え合い、助け合い

 もちろん、課題もある。人口減少、少子高齢化、医師不足を始め医療資源の少なさなど、いろいろ挙げられる。震災後はこうした傾向に拍車が掛かり、「課題先進地域」とも呼ばれる。そのような東北に未来はあるのだろうか。
 医療資源について見てみると、仙台のような都市圏には潤沢にあり、山間部や沿岸部では十分とは言えない現状がある。しかし、ではそうした地域に何もないかと言えば、何もないわけではない。その地域に行ってよく見てみると、ある。
 高齢化率が50%を超える奥会津では、そこに住む人たちが当たり前のように日々行っている助け合い、支え合いの仕組みがあった。でも、それをご本人たちは助け合い、支え合いだとはまったく思っていなかった。そのような、自然にお互いがさらっと手を差し伸べる感じの支援の仕組みが、東北のそれぞれの地域にしっかりと根付いている。そうした仕組みはむしろ、仙台のような都市圏には不足しているようにさえ思う。
 病院の連携実務者を始めとする専門職は、昨今どんどん地域に出向いている。その際に大事なことは、そうした地域の中のつながりを断ち切らないで、側面から支援することであろうと思う。医療資源が足りないからと言って「何もない、何もできない」という認識の上に立たず、足りないところをそっと補う姿勢こそが求められていると言える。

東北は「やり直し」ができる場所

 東北は「やり直し」ができる場所である。神武東征の折に殺された長脛彦の兄である安日彦は津軽へ、父崇峻天皇を蘇我氏に弑逆された蜂子皇子は山形へ、やはり蘇我氏との争いに敗れた物部氏が秋田へ、源義経は奥州藤原氏を頼って平泉へ、その義経によって滅ぼされた平家の平貞能が仙台市郊外へ、源頼朝の死後殺された梶原景時の兄影實は気仙沼へ、真田信繁(幸村)の娘や息子は伊達政宗の庇護の下で白石へ、など、神話の時代から東北に逃れる例は枚挙に暇がない。
 東北は中央での争いで破れて逃れてきた人たちにとっては、新天地だった。中央での敗北や失敗をリセットしてやり直しができる場所、それが東北であった。
 そしてまた、東北は古来、度重なる戦乱や自然災害に見舞われた地域でもある。この地にいた私たちの祖先に当たる人たちは、その度に再び立ち上がってきたのである。そのお陰で、今の私たちがここにいる。何度痛めつけられても、その度にそれまでの暮らしを取り戻すべく「やり直し」をしてきたその諦めの悪さや黙々と努力を重ねる姿勢は、今の我々にもきっと受け継がれている。どんな問題が目の前に立ちはだかろうと、何とか乗り越えていけるに違いない、と私は思っている。
 ましてや、同じ地域に暮らす七県の仲間たちがいる。共通の課題を抱える者同士、お互いの取り組みやその成果について情報交換することは、課題解決に有益なだけでなく、何よりとても心強いことである。

それぞれの県の持ち味

 7県は一体感のある地域でありながら、それぞれに個性がある。青森は「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録されたことでも分かるように、北海道との交流が盛んだった。それは他県にはない独自性である。
 岩手は奥州藤原氏が平泉に居を構えたように、東北の中心に位置する。その意識は当の岩手の人にはあまりないようだが、もっと持ってもよいと思う。
 秋田は以前奥羽越現像氏がいみじくも指摘したように、前九年の役、文治五年奥州合戦、戊辰戦争などを見ると、その動向が東北の帰趨を決するとも言える。秋田にそっぽを向かれないことが東北には大事である。
 山形の気候や文化は実に多様性に富んでいる。そうした多様性を踏まえてのアプローチは、東北全体にも敷衍できるものである。
 福島は北関東3県と接する「東北の出口」としての重要性がある。よく「東北の玄関口」と言われるが、それは中央から見た見方である。
 新潟は東北にも関東にも北陸にも甲信にもアクセスできる絶妙な位置にある。自ずと他地域と交流できる立ち位置である。
 なお、宮城には東北の外に向けては「中央何するものぞ」という「伊達者」の心意気を忘れず、東北の内に向けてはあまり出しゃばらず、を望みたい。
 こうした7県の個性を持ち寄った際の相乗効果にも期待したい。

もっともっと交わろう、お互いを知ろう

 とは言え、先にも述べた通り、日本の5分の1を占める広大な地域である。まだまだお互いに知らないことが多いのが東北でもある。だからこそ、もっと互いに行き来し、情報を交換し、共有し、新たなつながりをつくり、共に課題を解決する方策を見つけ、実践していくことが何よりも大事である。
 そして、そうして実践してきたことを外に向けて発信していくことも東北の人にとっては重要である。東北には自ら誇らない人が多い。自分がやってきたことのすごさを声高に主張したりしないことが往々にしてある。謙譲の美徳を備えているとも言えるが、いいことはいいと言っていくことも時には大事なことである。そうした取り組みか、東北以外の地域にも助けとなる可能性もあるからである。
 「そのようなわけで、地域でのいい取り組があったらぜひ私までご一報いただきたい」ということと、「1年に一度この場に、それぞれの成果を持ち寄りましょう」ということを呼び掛けて、私の話を終えた。今のこうして振り返ってみると、まったく大した話はしていないが、少なくとも東北についての思い入れだけは伝わったかなと思っている次第である。