なお、都道府県ごとに過去にどのような地震があって今後どのような地震が想定されているかについては、政府の地震調査研究推進本部のサイトの情報が分かりやすい。
10年目の3.11に寄せて
2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震が起きてから丸10年となりました。この地震によって引き起こされた災害は東日本大震災と名付けられましたが、10年経ってもこの災害からの復興はいまだ道半ばと言わざるを得ません。
広い範囲が浸水した仙台
この地震では大津波による被害がとりわけ甚大でした。こと津波の高さに関しては、リアス海岸で狭い湾口に津波が押し寄せた三陸沿岸で目立って高かったのですが、津波の浸水面積に関しては、津波を遮るものがなにもない平野部で特に大きくなりました。仙台の浸水面積は、同じく仙台湾に面した石巻に次ぐ52平方kmで、これはほぼ岩手県全体の浸水面積に匹敵します。
間違った「常識」
震災前、仙台では、「津波が来るのは三陸沿岸、仙台平野には津波は来ない」、と思われていました。宮城県沖では平均するとおよそ38年に一度、宮城県沖地震が起きて被害が出ていますが、これまでの宮城県沖地震では大きな津波が起きておらず、それがこうした思い込みにつながっていたのです。
歴史を紐解くと
しかし、ひとたび歴史を紐解けば、仙台平野にも過去、繰り返し津波が押し寄せていたことがよく分かります。今回の地震がきっかけで注目されたのが西暦869年の貞観地震による大津波です。今回の大津波はその再来とも指摘されました。確かに、地質調査の結果から、貞観地震による大津波の浸水域と今回の大津波の浸水域がほぼ一致することが明らかになっています。「日本三代実録」という書物にその時の津波の様子がリアルに記されています。
政宗の「多重防御」
加えて言えば、それ以降も仙台平野には繰り返し津波が押し寄せていました。西暦1611年の慶長三陸地震による大津波でも、仙台平野は大きな被害を受けていました。仙台藩初代藩主の伊達政宗が仙台に入ったのはこの10年前のことでしたが、この地震を受けて政宗は、沿岸にあった奥州街道を内陸に移し、海岸一帯に潮除須賀松林(しおよけすかまつりん)と呼ばれる松の植林をし、後に貞山堀と呼ばれる運河を掘るなど、今で言う「多重防御」の仕組みを作りました。こうした歴史がいつの間にか忘れ去られ、「仙台平野には津波は来ない」という誤った認識が広まっていたわけです。
「浪分神社」の伝承
仙台の海岸から内陸に5kmくらい離れたところに「浪分(なみわけ)神社」という神社があります。この神社が立っている場所は、慶長三陸地震の折に津波が到達したと言われていて、海神が現れてこの地に押し寄せた津波を南北に二分して鎮めたという「波分大明神」の伝承が残ります。しかし、そうした伝承があったことが注目されたのは震災の後のことで、その前までは近くに住む人の間でもそのような話は知られていませんでした。どんな伝承も教訓も伝わらなければ意味がありません。
海溝型地震と直下型地震
東北以外の地域で震災の話をすると、「ここは地震が少なくて」というような反応が返ってくることが時折あります。確かに東北は地震の多い地域ですが、4つものプレートがひしめき合うこの日本列島にあって、過去に地震による被害を受けなかった地域はまず存在しません。津波を引き起こす海溝型地震と呼ばれる地震の他に、阪神淡路大震災を引き起こしたような直下型地震もあります。直下型地震を引き起こす活断層についてはかなり調査が進んでいますが、それでもまだ見つかっていないものもあります。東北で言えば、2008年の岩手・宮城内陸地震が直下型地震でしたが、これは未知の活断層が引き起こしたものでした。
歴史上の災害について調べる
このように見てくると、自然災害の観点から自分たちの地域の歴史を紐解いてみることの重要性がクローズアップされてきます。地震が少ないと思われている地域で過去に本当に大きな被害を引き起こした地震がなかったか、その他の自然災害はなかったのかを調べてみることは、今後起こりうる災害への対応を考える際に大いに役に立ちます。
ハザードマップは「安心材料」にしない
また、自分たちの住んでいる地域のハザードマップを確認しておくことも必須です。津波の危険はなかったとしても、土砂崩れ、河川の氾濫、液状化など、別の危険がある可能性もあります。そして重要なことはハザードマップの内容を「安心材料」としてはいけない、ということです。震災前の仙台のハザードマップでは、津波で浸水する範囲が今回の震災で実際に浸水した範囲よりもかなり狭く見積もられていました。そのことからも分かるように、こうしたマップを根拠に「ここまでは津波は来ない」と考えてはいけない、ということです。仙台のハザードマップも震災後大幅に見直されましたが、そのようにハザードマップは改訂されていくものであり、万全のものではないと考えるべきです。
「記憶の記録プロジェクト『田』」での取り組み
今回の震災で体験したことやそこから得た知識などを忘れることなく他地域の人やこの地域のこれからの人に伝えていくことはあの震災を体験し、生き永らえた私たちにとっては責務と考えています。そのようなことから私も、そうした取り組みを少しばかりではありますが続けています。「夜考虫。(やこうちゅう)」という、仙台周辺の医療・介護関係の多職種で構成される任意団体の中に、東日本大震災に関する情報を掘り起こし、災害時対応について参考にしていただくために発信していく「記憶の記録プロジェクト『田』」があります。私もそのメンバーの一人で、これまでに合わせて112人の方にお話をお聞きすることができました。2014年にプロジェクトが立ち上がりましたが、そこから2018年までの5年間の活動をまとめた報告書と2019年の報告書は、https://ootomo.page.link/eNh4 からダウンロードしていただくことができます。ぜひご一読ください。