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<不正なレポート代筆業で稼いだ筆者が見た、依頼人たちの意外な素顔とコロナ禍の苦しい実情> 2019年5月、私はアメリカの大学を卒業した。卒業式の舞台で、これで大学生活が終わり、いきなり失業者になるのだと覚悟したものだ。 英文学科での成績はほぼ完璧だったし、就職活動も懸命にやった。でもどこからも採用通知をもらえなかった。既に7万ドルの学費ローンを抱えていたから、大学院に進むことはあり得ない。だから取りあえず、バーテンダーのアルバイトを続けることにした。 そこに、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)がやって来た。勤めていたパブが閉店して、今度こそ本当に失業した。在宅勤務の求人に応募したけれど、手応えはなし。やることも、行く場所もなく、気分が落ち込み、毎日のように両親と口論をした。 大学時代の友達から、「アルバイトをしないか」と連絡があったのは、昨年4月末のことだ。「大学生のレポート代筆サービスを手伝っていて、代筆をしてくれる人を探しているんだ」という。 その「キラー・ペーパーズ」というウェブサイトは、コロナ禍で多くの大学がオンライン授業に移行して以来、売上高が30%も増えたという。 仕事はどんどん入ってきた 友達の連絡から24時間もしないうちに、私は面接を受け、初仕事に取り掛かっていた。課題は、「コロナ禍が大学生に与える影響について、自分を見つめて3ページのエッセーを書くこと」。報酬は40ドルだ。 仕事はどんどん入ってきた。それとともに、このビジネスを取り巻く環境がだんだんと見えてきた。「カネを払ってレポートを代筆してもらうなんて、金持ちの子供がやることに違いない」と多くの人は思うだろう。そのイメージはあながち的外れではない。 「うちは両親とも医者だから、結構金持ちだ」と、臆面もなく言う学生もいた。本人は何もせず、親があれこれ指示してくるケースもあった。「うちの子はラクロス部の部員だから、ここにスポーツの要素を加えてちょうだい」と言ってきた母親もいる。 だが、怠惰な学生がいる一方で、複雑な事情を抱える学生も大勢いた。むしろ私の依頼人の多く(というか、ほとんど)は金持ちどころか、生活費を稼ぐのに忙しいからこそ、レポート代筆サービスを利用していた。 ===== PHOTO BY GLENN CARSTENS-PETERS ON UNSPLASH-SLATE タコベルの副店長、ウェンディーズのドライブスルーのオペレーター、高級スーパーマーケットのレジ係……。彼らはさまざまな低賃金の仕事をこなしながら、大学の授業を受けていた。「金曜日になれば給料が入るから、そうしたら正式に代筆をお願いできますか」と聞かれることも少なくなかった。 課題の内容について質問をすると、返事が来るのが翌日や翌々日のこともあった。そんなときは、「返事が遅れてすみません。アルバイトのシフトに2つ連続で入っていたので……」と書かれていることが多かった。 また、依頼人の多くはエリート大学ではなく、コミュニティーカレッジの学生だった。仕事と大学に加えて、子育てをしているシングルペアレントもいた。彼らは学位を取ることで、最低賃金のアルバイトから、キャリアアップを図ろうとしていたのだ。 英語が苦手な留学生も 留学生もいた。「微積分ならアメリカの学生に負けないんだけど、アメリカ文学のクラスは助けが必要で」と言う中国人留学生もいた。たいていの大学にはライティング支援センターがあるが、コロナ禍で多くが一時閉鎖された。 たとえ閉鎖されていなくても、いったん自分の国に帰ってオンラインで授業を受けることにした留学生は、時差がハードルとなってリアルタイムの支援を受けることが難しい。そのせいでひどい成績を取るくらいなら、代筆を頼もうと彼らは考えた。 コロナ禍の隔離生活で、モチベーションが低下した学生も多かったようだ。「キラー・ペーパーズのことは昔から知っていたけれど、自分が使うことになるとは夢にも思わなかった」と言う依頼人は多かった。「でも、気分が塞ぎ込んで、課題だけがどんどんたまっていくから……」 友達や家族を新型コロナで失ったという学生もいた。昨年の秋学期にレポートの代筆を依頼してきた学生は、「この授業の教授は今の人で3人目だ」と言った。その前の2人は、どちらも新型コロナに感染して死亡したのだという。 だが、教授たちは、学生たちの苦しみに無関心であることが多いようだ。新学期に配布されるルーブリック(評価基準)に、「締め切り厳守。お涙頂戴話は聞きたくない」と書いている教授もいた。 もし昨年3月に、「数カ月後には、大学生のゴーストライターとして、これまでの人生で稼いできたよりもはるかに多くの金額を稼いでいるだろう」と予言されていたら、私はからかわれていると思っただろう。 ===== 確かに夏休みの間は、1週間に10~12本のレポートを書いて、500ドルを稼ぐのがやっとだった。ところが秋学期が始まると、週に30~40本のレポートを仕上げて、2000ドル稼いだこともあった。感覚が麻痺するほど大量の仕事だが、稼ぎも多かった。 この仕事を始めたときは、私自身も追い詰められていて、倫理的な側面について考える余裕はなかった。生活に困窮している学生から料金を取るのは申し訳ない気もしたが、こうした学生には基本料金を割り引く仕組みをつくることで、自分を正当化した。私も仕事が必要だったのだ。 今はもう、レポート代筆の仕事はしていない。コロナ禍が収束に向かい始め、経済活動が再開すると、バーテンダーの仕事が戻ってきたからだ。電子書籍や大学入学用エッセーの校正をしたり、ライターの仕事もするようになった。 つまり今は、少しばかりまともな仕事をしている。だが、コロナ禍のとき必死につかんだ仕事で垣間見た、多くの若者が必死で生きている姿は決して忘れないだろう。 ©2021 The Slate Group