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1972年のパラリンピックで初めて金メダルを獲得した後、私は水泳競技チームと一緒にお祝いの夕食に出かけた。世界的なアスリートであるチームメイトたちが、車いすに乗せられて、アクセスの悪いレストランの数段の階段を上っていくという逆説的な光景は、今でも忘れられない。当時は決して珍しいことではなかったが、その日のプールでの勝利とは対照的に、この瞬間は特に際立っていた。

つり器具を装着して階段をゆっくり上がりながら、私はこの状況を皮肉に思った。パラリンピックのチャンピオンである私たちは、何百万人もの人々にインスピレーションを与える存在だった。私たちは固定観念を打ち破り、障害者が成し遂げられることについての一般の認識を変えていたからだ。しかし、社会から称賛される一方で、私たちは社会からは受け入れてもらえなかったのだ。

一般的な商品やサービスを利用するためには、超人的な体力と身軽さを必要とした。物理的な世界に完全に参加しようとすると、ハードルが高く、障害があった。当時、パラリンピックスポーツを通じて障害者の権利を促進しようとしていたパラリンピックムーブメントにとって、まだまだやらなくてはいけないことが残っていたのは明らかだった。それどころか、まだ始まったばかりだったのだ。

その後、私が参加した4つのパラリンピック大会では、よりアクセシブルな都市への移行が徐々に見られるようになってきた。それには、パラリンピックムーブメントが大きく貢献している。世界中のテレビにさまざまな障害者が登場することで、平等なアクセスの必要性がスポットライトを浴びるようになったのだ。

1980年のパラリンピックでのJoseph Wengier(ジョセフ・ウェンギアー)氏とチームメイトたち。左から2番目がウェンギアー氏。(画像クレジット:Joseph Wengier)

また、パラリンピックは開催都市にも要求し、都市のインフラのアクセシビリティを意味のある永続的なものに改善することを求めた。今日、確かにまだまだ改善の余地はあるが、障害者はほとんどの問題を解決し、かつてないほど社会に参加できるようになった。

しかし、インターネットが私たちの日常生活の中でますます中心的な役割を果たすようになると、私たちがこれまで経験し、戦ってきた排他的な物事が、新たな形で再び姿を表すようになってきた。最近の調査では、世界のトップ100万のウェブサイトを調査したところ、97%以上のホームページにアクセシビリティの問題が見つかったという。

キーボード操作に対応していなかったり、スクリーンリーダーが正しく動作しないレストランのホームページでは、これらの技術に頼っている人が料理を注文できないことがある。これは、車イスでの入店ができないのと同じことだ。

新型コロナウイルス(COVID-19)が私たちの日常を変えた今、オンラインへの移行は加速している。より多くの企業がデジタル化を進めており、予約をするにも、食料品を買うにも、仕事に応募するにも、ウェブサイトが唯一の手段となっている。そのため、アクセシブルなウェブサイトの必要性はこれまで以上に高まっているのだ。これは、ちょっとした不便さや、新しい技術やサービスにアクセスできないというレベルの問題ではない。日常の基本的なニーズがオンラインに移行し、その過程でアクセスしにくくなっているのだ。このような状況を目の当たりにして、私は声を大にして自分の体験を伝えたいと思うようになった。

私たちがオンラインで東京でのお気に入りのアスリートのパフォーマンスのハイライトを見たり、ソーシャルメディアでアスリートを祝福したり、お気に入りのスポーツサイトでイベントの報道を読んだりするように、これらの企業が自分たちのウェブサイトをアクセシブルなものに変え、パラリンピックチャンピオンも同じことができるようにすることをみんなで要求しよう。

メダルを背景にパソコンに向かうウェンギアー氏の最近の画像。(画像クレジット:Joseph Wengier)

編集部注:本稿の執筆者Joseph Wengier(ジョセフ・ウェンジャー)氏は、パラリンピックに5回出場し、9個の金メダルを獲得した。現在は、アクセシビリティ技術を提供する企業UserWayのアンバサダーとして、よりインクルーシブなインターネットの発展を推進している。

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画像クレジット:Charly Triballeau / AFP / Getty Images

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(文:Joseph Wengier、翻訳:Akihito Mizukoshi)