平昌オリンピックのチームパシュートで金メダルを獲得した高木菜那。
【画像】室伏広治との2人きりのトレーニング。この日々が今の高木菜那の原動力に!
同大会で新競技・マススタートの初代女王にもなった高木は、日本女子で夏冬通じて初めて1大会2冠という快挙を成し遂げた。
しかし一躍時の人となった髙木は、大会後、競技への情熱の向けどころを失ったと明かした。そんな中で改めて世界を目指すきっかけとなったのは、超人・室伏広治氏の支えだったという。
平昌五輪後の葛藤
「今回のオリンピックは室伏さんのためかなと思うので、そのために頑張ろうって思っています」
そう笑顔で話す冬の最速女王・高木菜那。
今シーズンは初戦の全日本スピードスケート距離別選手権の1000mで4位、1500mで3位と好成績を収めると、12月12日にカナダ・カルガリーで行われたW杯第4戦では自己ベストを0秒44更新し、トップと0秒01差で2位に入った。
「平昌オリンピック終わってから自分の中で葛藤があって、スケートへの情熱や、どこを目指していったら良いのだろうと…」
しかし高木は、実は平昌で世界のトップに立った後、目指す先が分からなくなっていたと明かす。そんな状況に陥る中で頼ったのが、全く異なる競技のトップ選手だった室伏広治氏だった。
室伏氏といえば、ハンマー投げで日本史上初のオリンピック金メダルを獲得。さらに日本選手権20連覇、世界陸上での金と、日本一の地位を20年間譲らず、数々の『室伏伝説』を打ち立てた、日本が世界に誇る超人だ。
スピードを追い求めてきた髙木にとって、室伏氏は交わることのない存在のはずだった。
しかし“目指す先”を考える中で見つけた答えが、スピードスケートにはないトレーニングを取り入れることだったという。
「テレビで室伏さんの独特のトレーニングをしている番組があって、そういうのを見て凄く楽しそうだなと思ったのもありますし。速くなるとこを目標に置いている中で、『他の人とは違う事をしてみたい、今の自分の同じ事をやっていても駄目なんじゃないかな』と思って、全然違うアスリートだったり、スポーツの事から色々学んでみたいと思ったのがきっかけです」
超人が見つけた修正点
「練習は、チームメート皆が基礎を一緒にやり、他にやることも一緒で、自分はどうしたら速くなれるのかなといろいろ考えた中で、何か変えないとこれ以上速くなれないのかなって思って。室伏さんに教えていただきたいと思って連絡しました」
これまでと同じ練習では先が見えないと感じていた高木は、体育学の博士号を持ち、スポーツ科学者でもある室伏氏に救いを求めた。
氷上の金メダリストから突如届いた指導のオファーに、多忙を極めた室伏氏はすぐさま時間を作ったという。しかも、出会ってすぐに髙木が抱えていた課題を見抜いたと明かす。
「テーマは腰の移動ですね。スケート中の腰の移動が、彼女はできていないところなので、そこを私は指摘してトレーニングをさせていただきました」
室伏氏が見つけた課題は、滑っているときの腰の動きだった。横に滑る力を効率よく推進力に結びつけるためのトレーニングを勧めた。
「スケートは左右に移動をするんですけれど、その時に腰の方から水平に、腰から左右に移動していくことができてなくて、これをトレーニングで徹底して修正しました。平行移動することによって、氷上に真っ直ぐ力が加えられるようになる」
そう話す室伏氏が高木のためだけに考えたメニューは、腰から動くことを強く意識したものだった。初めて経験するトレーニングに、髙木選手の目の色は変わっていく。
「今までは、一生懸命腹筋をしたり体幹トレーニングをしたりしていたんですが、中々スケートに生きてきている実感が無くて。『なんでだろうな』と思っていたところで室伏さんの体幹トレーニングに変えてみたら、上半身と下半身がスムーズになって、教えが生きてきているなと、すぐ感じられたので凄いなと思いました」
“スピードスケート”と“ハンマー投げ”。異色の2人の秘密特訓は、オフシーズンの2〜3カ月の間、週1回のペースで3年間続いた。スポーツ庁長官でもある室伏氏は、忙しい時間の合間を縫ってスピードスケートを研究し、スケートに特化した練習も考えてくれたという。
「室伏さんとのトレーニングは、本当に信じていいなって思えるようなトレーニングが出来ていたので。今、『この道を進んで行けばきっと大丈夫だろうな』って思える道があるなって思います」
室伏氏もトレーニングを通じて高木の強みを理解していた。
「アスリートというのは自分のことをよく知っていないと、やはり上達はしないと思うので、彼女はやはり自分のことを自分でよく理解しようとするところが素晴らしいと思います」
「室伏さんのために北京へ!」
そして8月。ついに氷の上で室伏流トレーニングの成果を試すときがやってきた。
「氷に乗った瞬間から去年と違う感覚があり、それを無意識でできるのは、やってきたことの積み重ねかなと思います」
2人でこだわり続けてきた“腰の動き”に、本人も今までとは違った手ごたえを感じていた。
そして、室伏氏がもたらしたものは滑りの変化だけではなかった。
「北京五輪は、室伏さんにベストパフォーマンスを見せるだけかなって思ったので、金メダルを獲りに行けたらいいなと思っています」
かつて目標を失っていた彼女の心もすっかり変わり、前を向けるようになっていた。
海外で転戦を続ける髙木に、「菜那さん、色々大変な状況ですけど、沢山の人が応援していますし、自分の最高の状態に持っていけますように、私も日本からみんなと応援しています」と言葉を送った室伏氏。
技術と闘志に輝きをくれた室伏広治氏と歩む道は髙木にとって宝物となった。
「また世界に向かって頑張ろうと思った一つのきっかけにもなったので、北京オリンピックにかけてきた4年間の私にとって、無くてはならない存在だったなと思います」
そして室伏氏がくれた「自分で獲った金メダルが今後何十年も同じ輝きを、輝き続けられるような人であってほしい」という言葉を支えに北京での活躍を誓った。
「金メダルを獲ってその時だけ輝くのではなくて、それからも金メダルを輝き続けられるような人であってほしいと言われたのは凄い事言うなと、かっこいいなと思いながら、そういう人でありたいなと思いました。
北京オリンピックでは自分の最高の滑りをして、それを色んな方に見ていただきたい。オリンピックは特別な所で、色んな方が応援してくれるなかで、自分が最高の滑りをすることが今の目標なので、そのために北京オリンピックに向けて一つ一つ色んな事を丁寧に努力していけたらいいなと思います。
そしてこのコロナ禍の中で北京オリンピックが行われる事もありがたいことなので、一つ一つのことを噛みしめながら色んな方に感謝の思いを込めて、そして『絶対金メダルを獲るんだ』って気持ちで。平昌オリンピックでメダルを獲っていたとしても挑戦者、チャレンジャーとして戦っていけたらいいなと思います」
12月29日から行われる北京オリンピック・スピードスケート日本代表選手選考競技会で、成長を見せつける準備はできている。