日本サッカー界の一大イベント、YBCルヴァンカップ。
リーグ戦、天皇杯と並ぶサッカー国内3大タイトルの一つであり、Jリーグ最強クラブが決まるルヴァンカップFINAL名古屋グランパスvsセレッソ大阪が、10月30日、埼玉スタジアムで2年ぶりに行われる。
その舞台で戦う選手たちにある、それぞれのドラマを追った。
今回は、妻の言葉でJリーグで復活を果たし、3年連続得点王をとるまでになった大久保嘉人だ。
ベテランFWの変わらない決定力
今シーズンのJリーグで、開幕から3試合で4ゴールと、相変わらずの決定力の高さを披露したセレッソ大阪の大久保嘉人、39歳。
J史上初となる3年連続得点王(2013〜15年)、通算191ゴール(10月24日時点)のJリーグ最多得点記録を保持するなど、“最強”フォワードは常にクラブの命運を握り、ピッチで戦ってきた。
そんなストライカーを欲しがるクラブは数多く、これまでの移籍は海外も含め実に10回。
その大久保がプロ生活20年の長い旅の終着点に選んだ場所が、始まりのチーム・セレッソ大阪だった。
「所属したチーム全てに思い入れはありますけど、その中でも高校を卒業して一番始めのプロのチームがセレッソだった。最後このセレッソで恩返しをしたいという気持ちで帰ってきましたので。
そういう気持ちは強いですね。セレッソに対しては」
2シーズンぶりにJ1の舞台に舞い戻ったベテランストライカーの古巣帰還は、実に15年ぶりだ。
セレッソ大阪の小菊昭雄監督は、大久保の存在の大きさについて口にする。
「なぜ嘉人がここまで素晴らしいキャリアを歩めたのか。若手に良い見本として残してくれていることに感謝しています。ワンプレー、ワンプレーに魂を込めてプレーしてくれるところは、私自身も本当に心強く思っています」
強靭なフィジカルと、誰にも負けない鋼のメンタルを持ちあわせる大久保。それゆえに、これまでどんな状況でも自分の力を100%出し、結果を残してきた。
そんな百戦錬磨の男にも、これまで一度だけ心が折れ、腐りかけた瞬間があったと明かす。
失意の大久保を変えた妻の言葉
2012年、ブンデスリーガ・ヴォルフスブルクからヴィッセル神戸に戻り、4季目のシーズンを迎えていた大久保。チームの状況もあってゴールから遠ざかり、26試合出場で4得点と不本意な結果となった上、チームはJ2への降格が決まっていた。
チームのエースとして人一倍、責任を感じていた大久保は、残留した上でJ1復帰を目指すという強い意思を固めていた。
しかし、ヴィッセルから契約延長のオファーは届かなかった。
失意の大久保はJリーグでのプレーを止め、韓国リーグへの移籍も視野に入れていた。
そんな大久保を見ていた妻・莉瑛さんは、こんな言葉をかけたという。
「『日本以外に行くと大久保嘉人と言う名前は、今まで培ったことがすべて無くなるよ』と。『みんなから忘れられるよ、それでいいの?』と言われましたね」
何かに真剣に向き合えば向き合うほど、自分を見失うことがある。
そんなとき正しい道を照らしてくれるのは一番近くにいる人だ。
「自分の性格とかもすべて分かっているので、迷ったときには『どっちに行った方が良いよ』というのは、やっぱり奥さんが常に言いますね」
妻が大切にした父の願い
莉瑛さんがJリーグにこだわったのには、もう一つの理由があった。
「父が亡くなる前に書いた遺書に、『代表になれ、もう一回頑張れ』と書いてあって。それでもう一回頑張ろうと思いました」
日本代表への復帰という父の願いを、誰よりも大切にしたのが莉瑛さんだった。
再び代表に選ばれるにはJリーグにいたほうがいい。
「妻は自分の父は、そういうところをわかり合えるというか、2人が思っていることは本当に一緒だったと思います」
川崎フロンターレから大久保のもとにオファーが届いたのは、莉瑛さんの言葉で父からのメッセージをあらためて思い出し、J1でプレーしようと決意を固めたまさにその直後だった。
移籍したフロンターレでは持ち前の得点力が爆発し、2013年から3年連続得点王となり、2016年も日本人最多得点を記録。2014年のワールドカップブラジルでは、日本代表の一員としても戦った。
39歳になった今でも、大好きなサッカーをプレーしている。
あの時妻の言葉が無かったら、今の自分はここに立っていなかったと感じている。
「自分が本当に好きなようにやらせてくれているし、それを陰から支えてくれているというのを非常に感じるので、そこには頭が上がらないですし、感謝しかないですね。
本当に妻がいなければ、多分サッカーやっていないと思います」
妻に感謝の抱くベテランストライカーは、自らのプロ生活の第一歩となったチームを日本一に導くため、人生のすべてを懸けてルヴァンカップに挑む。