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<国軍司令官率いる軍政によるクーデターから半年。しかし事態は混迷を深めて──> ミャンマー民主政権の指導者だったアウン・サン・スー・チー国家最高顧問兼外相は2月1日に軍によるクーデター発生当日に身柄を拘束され、複数の容疑で裁判が行われている。裁判は軍政に忠実な司法当局の主導で進められているが、最近新たな容疑で訴追されていたことが明らかになった。 スー・チー氏の弁護士によると、すべての裁判で有罪となった場合、判決は合計で禁固75年に達する可能性もあるといい、民主化運動の旗手であると同時に反軍政のシンボルでもあるスー・チー氏の政治生命をなんとしても完全に絶つことに固執する姿勢が浮き彫りとなっている。 これまで3月1日の初公判以来、スー・チー氏に対する公判は原則として毎週月曜日に首都ヤンゴンの特別法廷でウィン・ミン大統領とともに公判が開かれてきた。 しかし、ミャンマー国内でのコロナ感染が拡大したことを受けて軍政の統治機関である「国家統治評議会(SAC)」は7月17〜25日まで全土を休日としてあらゆる社会活動を制限した。 公判もこれにより休廷となり、その後事態の改善が見込めないことなどから休日が8月31日まで延長され、休廷が続いている。 複数の容疑で起訴、公判 これまでに明らかになっているスー・チー氏への容疑は①海外の無線装置を無断で所持していたことによる輸出入法違反②コロナ感染拡大防止のために十分な措置を講じなかったという公衆衛生法違反③許可なく通信機器を所有していたことによる通信法違反④社会不安を煽る声明などを国際社会に発表したことによる刑法違反⑤同じ容疑での扇動罪⑥地方政府当局者から60万ドル相当の金塊を受領したとする汚職法違反、などとなっている。 新容疑で訴追され、9月から公判再開へ こうしたなか、反軍政メディアはSACが「9月6・7日から公判を再開することに決めた」とスー・チー氏の弁護士キン・マウン・ゾー氏が明らかにしたことを伝えた。同弁護士は休廷中の8月中旬に検察当局が新たな容疑でスー・チー氏とウィン・ミン大統領を起訴したことを明らかにしたという。 ===== 追加で訴追されたのは「ネピドーにある土地を市場価格より相当に安い価格で売却して国家に損害を与えた」というもので「汚職防止法第55条違反」としている。 司法当局によると、この新たな容疑での公判はこれまでのネピドーの法廷ではなく、中部の都市マンダレー管区の高等裁判所で開かれるとしている。この容疑でもし有罪となれば最高で禁固15年の刑が科されることもありうるという。 すべて有罪なら禁固合計75年も そしてこれまでに訴追されているすべての容疑でスー・チー氏が有罪判決を受けた場合、最大で合計禁固75年になる可能性もあるとしている。 ミン・アウン・フライン国軍司令官率いる軍政はクーデターで民主政権を打倒して政治の実権を力で奪取。スー・チー氏やウィン・ミン大統領など民主政府の要人や与党「国民民主連盟(NLD)」幹部などを次々と拘束して司法の場で処断しようとしている。 こうした軍政の姿勢には民主政府の復活を完全に阻止することを目的とし、特に国民の人気と支持が極めて高く、身柄拘束中の現在でもその「カリスマ性」が強いスー・チー氏を政界から「完全に抹殺」することを至上命題とする背景があるといわれている。 キン・マウン・ゾー弁護士は「休廷開始以降、スー・チー氏との面会は実現していない」としたうえで「追加された訴追に関して近く面会を裁判所に要請する予定だ」としている。 スー・チー氏にはキン・マウン・ゾー弁護士以外にも複数の弁護士がついているが、このうちダウ・サン・マル・ラ・ニョト弁護士は8月10日に当局に呼び出されて「外国のメディアやNGOなどからのインタビューを受けることを禁止する」と通告され、誓約書への署名を求められる事態も起きている。 こうした弁護士への「圧力」やスー・チー氏への追加訴追などは、軍政の思惑通りに運ばない厳しい状況、スー・チー氏など民主化勢力への強い国民の支持などにミン・アウン・フライン国軍司令官以下軍政幹部が焦燥感を抱いていることの表れ、との見方も強い。 ミャンマーでは軍政に反対する公務員や医療関係者による「不服従運動(CDM)」などの影響もあり、コロナ感染の拡大が続いている。8月25日までの累計感染者は37万8000人を超え、死者も1万4000人以上となっているというが、実際にはさらに多く深刻な状況に陥っているとの見方が有力だ。 反軍政の市民らによる抗議運動や、武装した市民や国境周辺の武装少数民族勢力と軍との戦闘は激化。一方で新型コロナウイルスの感染状況は深刻化しており、ミャンマーはかつてない厳しい局面が続いている。 [執筆者] 大塚智彦(フリージャーナリスト) 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など