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今回、純粋に経済的な事情から、
資格をとることにしました。

私は、ここ、もも父の実家に、
他に行く当てもなくお金もないという理由から、
はや五年も住んでいるのですが、
いろんなことを曖昧にしたまま、
このままここで暮らし続けるわけにはいかない!
と、絶対に確実にここから出られるように、
資格をとって、きちんと仕事につこうと思ったのです。

なぜ、資格かというと、
日本がその昔「学歴社会」だったように、
(今はどうなんだろ)
オーストラリアは、「資格社会」なんですね。
もちろん職種にもよりますが、
どんなに実力があっても資格がなければなかなか採用してもらえないのに、
逆に資格さえあれば、実力が伴わなくても仕事が簡単に手に入るのです。

郷に入りては郷に従え、
オーストラリアが資格社会なら、取りましょう資格!
と、この人生で取得した資格など運転免許しかない私が一念発起したのですが、
じゃあ、どんな職種を、と思ったときに、
まったくなんの脈絡もなく、
「介護の仕事をしよう」
と思ったのです。

なんで介護かと聞かれても、
本当に純粋にインスピレーションによるものなので、
特に理由はないんです。

自分でも
「なんで介護かな?」
と思いつつ、
まあいいや、理由はあとからついてくるだろうと、
早速、TAFEというこちらの公立の職業訓練校で、
該当するコースをさがしたら、
通信制のものがあったので、その場で申し込みました。

その資格は取得に一年かかるけれど、
持っていれば仕事が確実にもらえる資格なので、
一年後には、家賃も払える、ここから出られる、
晴れて自由の身! ではあるのですが、

もちろんその資格でもらえる仕事は低賃金で、
子どもを二人抱える身では、
きっと家賃を払った後は生活費ぎりぎり、
何かしたくても、
手も足もでないだるまさんのままなので、
さらに上のレベルの資格を、働きながら、
ひとつひとつ順番にとっていくしかないのです。

そうすると、計6年にわたる長期プランになるんですね。
まあ長いけれど、やることにしようと決めたのですが、
私はもともとは、着実な人生プランなどとは縁のない、
きわめて行き当たりばったりの人生を送って来た人間なので、
これは、私にとっては一大変化なんです。

でも、経済的な事情によるものではあるのだけれど、
私も子育ても一段落してきた今、
今までほとんど関わる事のなかった社会に、
今度はしっかりとコミットしていく時がきている、
ということなのかもしれません。

TAFEのコースを見ていたら、
私の取るコースは社会福祉のカテゴリーに含まれていて、
介護の他には、
児童保護や障害者の支援、
薬物・アルコール中毒患者、精神障害者の支援、
低所得者層の支援、
更生保護、
などがあるんですね。

それを見ていて、
「あ、そうか。
社会福祉というのは、基本的に、
社会から疎外された人たちを相手にする仕事なんだ。」
と、気付いたんです。

それで思い出したのです。
ずっと若かった頃、マザー・テレサに憧れて、
自分も彼女のもとで働きたいと思ってた事を。

ハンセン病患者の腕をさすりながら、
「ここに神様がいらっしゃいます」
と言っていたマザー・テレサは、
彼らを「かわいそうな人たち」とは見ず、
最も尊い人たちとして謙虚な思いでその前に立っていた、
私はその姿に感動したのです。

それで気付いたのですが、
私の心の奥にはきっとずっと、
人間が最も弱い状態のときに発露する、
最も尊い輝きにふれたいという思いがあったのです。

私が今、介護という仕事を選ぼうとしているのは、
私がお世話をするその人たちの中に、
弱くなった体だからこそ現れる、
神のようなものの輝きを、見届けたい、
そう思っているのだと思います。

でも、TAFEのコースを選択するときに、
お年寄りの介護専門のコースも選べたのですが、
特に理由も分からないまま、
もっと社会福祉一般のコースを選んだんですね。

今どうしてそういう選択をしたのか考えてみると、
結局、生まれて生きて、死んでいく、
その全ての過程が人間なのだから、
全体から観るのでなければ、
一つ一つのことに、どう向き合うべきなのかは判断できないのだと、
そういう認識が、おぼろげながらあったのだと思います。

そんな近況報告でした。