「子どもに畏敬の念をもつこと。
子どもに本気で興味をもつこと。
自分は子どもを守っているのだという感覚をもつこと。
この三つは、子どもに向き合う大人の魂のなかにある、
魔法の万能薬です。」
シュタイナーの言葉です。
もう本当にその通りです。
どんな子どもの中にもある、神聖で光り輝くもの、
その独自の輝きに畏敬の念を持って、
その光り輝くものを持つこの子どもは、
いったいどういう子どもなのだろうと、
その謎に真剣に興味を持って、
そして、
「この尊いものを、自分は守るためにここにいるんだ」
という自覚を持って、子どもの前に立つならば、
どんな子どもの、どんな問題も、改善してしまう、
まさに絶対無敵の万能薬。
でもこの薬を使うのは、簡単なようで意外にむずかしい。
子どもに対して畏敬の念を持つことなんて、
日々の慌ただしさの中ですぐ忘れてしまうし、
子どもに対する関心も、
ついついおざなりなものになってしまって、
世間一般の子ども像にあてはめて子どもを判断してしまいがちだし、
自分は子どもの守護者なのだということも、つい忘れて、
自分は子どもをしつける立場にあるのだと思うあまり、
「いい子」という画一的な枠に子どもをはめこもうと、
その枠にはまることのできない子どもを、
守るどころか、攻撃する敵になってしまう。
だから万能薬ではあるけれど、
この薬を使うためには、
精力的に自分を励ます必要があったりします。
でもこういう「魂の態度」を大人が持つならば、
たとえその子どもの謎が理解できなくても、
特にこれといったことをしてあげられなくても、
不思議に、その子どもはどんどん、
「その子どもらしく」なっていくのです。
シュタイナーは、こんなことも言っています。
「子どものために、
『何をするか、どんな言葉をかけるか』
ということが、どれほど些細なことか、
それと比べて、
『子どもと向かい合う大人が、どんな人間であるか』
ということが、どれほど重要なことか、
みなさんは何もわかっていないのです。」
もちろん、子どものことを思って何かをしてあげたり、
言葉を選んで声をかけたりすることは、
とても大切なことだと思いますが、
結局はそういう大人の言動よりも、
むしろ大人の魂の状態のほうに、
子どもは深く影響をうけるということなのです。
ですから私も、ついつい忘れがちなこのレメディ、
一日のうちに何回でも思い出して、
いつか私の魂の習慣になるようにしたいです。