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<今や日本の人口の209人に1人いる「博士号」を取得した知的人材は、日本社会でどう活用されているのか> 「末は博士か大臣か」という言葉がある。将来有望な子どもが言われたことだが、学位令が公布された明治中期では、博士号学位は国の大臣と同じくらいの稀少性があった。だが時代とともに授与数は増え、年間1000、2000、1万となり、最近では毎年1万5000人ほどの博士が生まれている。 長年にかけてこれが累積し、今の日本社会にはどれほどの博士がいるのか。文科省の『博士・修士・専門職学位の学位授与状況』には、1957年4月からの学位授与数が出ている。生存している博士号保持者の近似数と見ていいだろう。それによると、①1957年4月から1991年6月までの授与数は17万5007、②1991年7月から2019年3月までの授与数は42万6583だ(時期が区分されているのは、法改正で学位の表記の仕方が変わったことによる)。合わせて60万1590人となる。 この数字については後で深めるとして、まず注視したいのは、1991年を境に授与数が大幅に増えていることだ。②のほうが時期としては短いにもかかわらず、博士号授与数は①の2.4倍に増えている。90年代以降、学位の表記法だけでなく性格も変わっている。かつては、博士号は学問の集大成の証だったが、近年では研究者の基礎ライセンスという位置付けになっている。そうした変化は人文・社会系で顕著で、大学院博士課程学生の学位取得率を昔と今で比べるとよく分かる<表1>。 文科省の資料には、博士課程修了生と単位取得満期退学者数(内数)が出ていて、前者から後者を引いた数が学位取得者となる。これを修了生数で割った取得者率でみると、この40年間で大幅に伸びている。人文科学は13.3%から47.5%、社会科学は14.7%から58.5%への増だ。 筆者の専攻の教育学は変化が大きく、1980年の学位取得者率は5.2%(取得者の実数はわずか5人)だったが、2020年では54.9%と10倍以上になっている。審査基準のあまりの変わりように戸惑い、大学院の指導教授が「今の博論なんて昔の修論だ」と言われていたのを思い出す。 ===== かつては文系の博士号を取るのは極めて難しかったが、今では当該専攻の院生の半数がそれを取得する。質の低下という誹りもあるが、高度な知の証であることに変わりはなく、それを持つ知的人材は社会で活用されるべきだ。 上述のように、1957年4月から2019年3月の博士号授与数は60万1590で、これが今の日本にいる博士の近似数と見なせる。人口1億2600万人で割ると、10万人あたり477.5人、およそ209人に1人だ。博士の数を専攻別に出し、人口当たりの数にすると<表2>のようになる。 教育学の博士号保有者は6125人で、人口10万人あたり4.9人となる。単純に考えると、東京都(人口1400万人)には686人、筆者が住む神奈川県横須賀市(人口39万人)には19人の教育学博士がいる計算だ。 こうした知的資源がどう活用されているか。定期的に『知的人材活用状況調査』というのもやってみるといい。博士号取得者の増産は、国策によって進められてきた。多額の税金も投入されている。国の製造者責任を吟味する上でも、この種の情報が整備されて然るべきだ。 <資料:文科省『学校基本調査』、 文科省『博士・修士・専門職学位 の学位授与状況』> =====