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<2兆ドルも費やして戦果はゼロ。アフガン軍が弱い金食い虫だった責任の一端は、アメリカが大々的に戦争を委託した民間軍事会社のせいもあるのではないか> カブール陥落以後の1週間、これほどアフガニスタンについての情報があふれたことはないだろう。だが、アフガニスタンにおけるアメリカの戦争が、不透明で説明責任とは無縁の民間軍事会社に大々的に委託されていた事実については、ほとんど触れられることがない。 民主的なアフガニスタン建設のためとされた戦争は、これ以上なく非民主的なやり方で遂行されていたのだ。 いかにして、そしていかなる理由から、これほど重要な戦争の大きな部分が民間軍事会社に委ねられたのか。そうしたやり方はアフガニスタン政府軍や政府の瓦解の原因とも関連しているのか。アメリカはこれらの点にきちんと向き合う必要がある。 これは、世界最強の国家が外交政策のかなりの部分を納税者に対する説明責任をもたない民間企業に委ねることの是非をめぐる議論の入り口になる。実情が明らかになれば多くのアメリカ人が怒りを覚えるはずだ。 アメリカの金はいかに浪費されたか 実際何が起きたのか、どれほどの国費が無駄遣いされたのか、ジャーナリストは金の流れを追ってその本分を果たすべきだ。責任追及もしないまま、この問題を終わらせてはならない。 アフガニスタンの国土は険しく山がちだ。それもこの国が「帝国の墓場」と呼ばれるゆえんだろう。緑豊かな森林は国土のたった1%に過ぎない。アフガニスタンのある優秀な役人が、緑色の迷彩服を兵士に着せるのはばかげていると判断したのもそのためだ。にも関わらず、そんな役に立たない迷彩服のために、アメリカは総額2800万ドル(米国民1人あたり25セント)もの金を払った。 もっとも、政府軍がタリバンと戦いもせずあっという間に姿を消したところを見ると、この迷彩服も多少は役に立ったのかも知れないが。 調べれば調べるほど、驚くような金額と汚職の数々が白日の下にさらされるだろう。アフガニスタン復興担当特別査察官事務所(SIGAR)は2018年、アメリカの国費約150億ドルが無駄遣いされたり不正流用されたと明らかにした。また08年以降、米政府はアフガニスタンの建物や自動車のために80億ドルを費やしてきたが、大半は破壊されたり放置されたりして、まともに使われているのは10%に満たなかったという。 ===== その軍が崩壊したのは不幸中の幸いだったかもしれない。メンテナンスがよければ、タリバンの手に渡る武器や備品はもっと増えていたかもしれない。一部のアフガニスタン人パイロットは軍用機で国外に逃亡したが、アメリカは彼らに感謝すべきだろう。アメリカ製の最先端の軍用機が、タリバンの手に落ちずいすんだのだから。 もちろん、タリバンの手に渡った武器も多く、そうした武器の一部は、援助や投資と引き換えにアメリカのライバルの手に渡るだろう。前例もある。米軍がパキスタン北部のアボタバードでウサマ・ビンラディンを殺害した際、作戦に参加して墜落した米軍機は中国の手に渡ったのだ。 こうした数字を全て合わせると、アフガニスタン政府軍の増強にアメリカが拠出した額は約830億ドルに達する。20年に及んだアフガニスタン戦争全体に費やした額は2兆ドル近い。数多くのアメリカ人がこの戦争で命を落とし、さらに多数が重傷を負い、心的外傷を負った。 「いいカモ」だった政府軍 もしかすると責任の一端は民間軍事会社への委託のあり方や、請負う側の姿勢にあるのかも知れない。 この春の時点で、アフガニスタンには約7000人の請負業者がいて、アフガニスタン陸軍の運営を支えるとともに空軍を機能させてきた。最終的にアフガニスタンが自力で軍を維持できるわけがないのを分かっていて、なぜアメリカは軍備を増強しようとしたのだろう。戦争で大もうけする請負業者やその仲間たちが、米軍が撤退した後もアフガニスタン政府軍との関係を維持することで多額の利益を得ようとしていたためではないだろうか。 タリバンからの大きな脅威にさらされている限り、武器と専門知識に対する政府軍のニーズは常に高く、それは非常にカネになるビジネスになるはずだった。 もちろんこれは推論に過ぎず、調べてみなければ実際のところは分からない。アフガニスタン政府軍は姿が消してしまっても、われわれはその理由を問うべきだ。 ===== 将来的に、われわれは再びタリバンとの戦争に踏み切るべきなのか。アフガニスタンの全権を掌握したタリバンが昔の残忍なやり方に戻りつつある中、これは切迫した問いになっている。少なくとも、タリバンがイスラムの教えを勝手に変えたりねじ曲げたりするのは間違いない。昔のアフガニスタンはもっとリベラルで寛容だった。そうした状態を取り戻すのは不可能ではない。 透明性と誠実な対応を求める権利は、アメリカ国民だけでなくアフガニスタンの人々もある。 (この記事に書かれているのは筆者個人の見解です)