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<「真の保守派こそ、誇りをもっていまの政治を叱り飛ばすべき」と主張する憲法学者の著書が教えてくれること> 『「人権」がわからない政治家たち』(小林節・著、日刊現代)は、2017年10月から2021年3月まで『日刊ゲンダイ』に掲載されたコラム「ここがおかしい 小林節が斬る!」の中から主要原稿を抜粋し、加筆・修正してまとめた書籍。 「現実の政治的な課題について、民主主義と人権を守る」という観点から評価を加え、解決策を提案しているのだという。 などと聞くと難しそうにも思えてしまうが、決して堅苦しいものではない。それどころか、タブロイド紙の連載が元になっているだけあって内容はいたって簡潔だ。 とはいえ、そもそも著者は”リベラルな視点を持つ保守派”として知られる憲法学者なのである。そのような立場を軸として書かれた本書がただ読みやすいだけで終わるはずもなく、「保守」についての持論を投げかけた「はじめに」から、強いインパクトを投げかけてくる。 私の思いは、野党の支持者だけでなく、真の「保守」を自認する人にこそ問題に気づいてほしいということである。本来の「保守」は、正しい歴史認識を持って、よきものを守り発展させていく立場のはずである。そういう意味で、いま、権力を私物化して大衆の幸福に対する責任感を無くした政治家が「保守」派だとは思えない。私の知る保守派は、知的で礼儀正しく、正義感と他者への思い遣りがあった。だから、真の「保守」派の人々こそ、誇りを持っていまの政治を叱り飛ばすべきである。(「はじめに……いまの自民党はもはや『保守』ですらない」より) 私はリベラルを自負しているが、現代の「保守」に対する不快感をうまく言語化できずにいたことも否定できない。 だが著者はこの「はじめに」で記した主張によって、私の内部にあったモヤモヤをうまく言い表してくれた。「保守かリベラルか」という以前に納得できたのは、そのせいかもしれない。 「モリ・カケ・桜・東北新社」など、一連の政治スキャンダルはもはや度を超えている。これは国民全体の公共財が一部権力者の私物にされていることに他ならず、大多数の国民は明らかに怒っている。しかし、それでいて有権者のほぼ半数が選挙で棄権してしまっていることも事実で、それが権力者を増長させ、公僕である官僚までが権力者の下僕に成り下がった感がある。(「はじめに……いまの自民党はもはや『保守』ですらない」より) まったくそのとおりであり、そんな状況を野放しにしてしまっている私たちも大いに反省すべきである。 例えば、あれだけ世間を騒がせた「モリ・カケ・桜・東北新社」問題にしても、いつの間にか”過去の出来事”として忘れ去られようとしているのではないだろうか? ===== そして権力者の側も、「国民はすぐに忘れる」とたかをくくっている。悪循環以外のなにものでもなく、だからこそ、個々人がしっかりとした視点を持つべきではないかと感じる。 「(政治家は)いつもああだよね」と苦笑するのではなく、「”いつもああ”であることは道義的に間違っているのではないか?」という判断基準を個々人が持つべきではないかということだ。 バカにされた主権者に残された唯一の手段 著者は官僚の口から頻繁に出てくる「記憶にない」という言葉に焦点を当てる。「モリ・カケ・桜・東北新社」などの疑惑が持ち上がった際にも何度となく連発されたあれだ。 国際的に見ても優秀であるはずの日本の官僚、なかでもエリートコースを歩んで高い地位に就いた人々が、日ごろの理路整然とした話しぶりから一転して「記憶にございません」を乱発する姿に唖然とさせられてしまうと著者は言う。 だが、当然ながらそこには明確な理由がある。 議院証言法は、国会で偽証をした者は院が刑事告発できると定めている。その「偽証」とは、事実と異なることを故意に(つまり「わざと」)証言することである。だから、不実の証言をしたことが後でバレてしまった場合でも、それは、「記憶になかったのだからでわざとではない」ので「故意がなく」、有罪にはならない……という理屈になる。 だから、普段は、議場で何を質問されても、正確な知識の裏付けをもって明確に回答する習慣が身に付いている高級官僚が、自らの「不正」に関わる質問に対しては、途端に記憶喪失になってしまうのである。(146~147ページより) つまり官僚が公式の場で「記憶する限りでは」などと前置きして曖昧な発言を始めたら、それは「悪事を隠している」のだと評価して間違いないということだ。 確かに、そういう視点を持つことは大切だと私も思う。ただし私たちには、たとえ嘘を見抜いたとしてもどうすることもできない。逮捕して身柄を拘束し、尋問するというような権限を持っていないのだから。 嘘をついた人が堂々と逃げてしまえるのはそのせいだ。それがわかっているからこそ、「言っても無駄」とばかりに政治や官僚に鋭い目を向けることを「どうせ意味のないこと」だと感じてしまう人がいたとしても不思議ではない。 だが、それではやはり悔しい――などと思わない人だっているだろうが、少なくとも私は悔しい。 では、どうしたらいいのだろう? ===== そこで、バカにされた私たち主権者に残された唯一の手段は、そのように、訓練された官僚たちを悪事に走らせた政治的権力構造が明白である以上、その構造を壊す、つまり、「政権交代」を行わせることである。 安倍前首相は、「自分が指示を出していないことは明白」だと繰り返していた。しかし問題は、指示があってもそれを証言するはずのない人々、つまり、指示がなくても「忖度」しておもねる者たちにかしずかれている自分の立場に思いが至らぬ首相を載いている、いまの日本の権力構造こそが問題なのである。だから、政権交代が急務である。(147ページより) コロナ対応のお粗末さや相次ぐ不祥事の影響で、菅政権の支持率が落ちまくっている。しかし、感染者数が下げ止まらない状況下でもなお、首相は「人流は減少している」というようなことばかりを述べている。 そこに説得力はまったくないのだが、だからこそ私たちは意思を明確にしなければならない。衆院解散がいつになるのかなど現時点で明確になっていない点は多いが、やがて訪れる衆院選では票の力を使うべきだ。 著者が主張するように、「誇りを持っていまの政治を叱り飛ばす」必要があるのである。 『「人権」がわからない政治家たち』 小林 節 著 日刊現代 (※画像をクリックするとアマゾンに飛びます) [筆者] 印南敦史 1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。ベストセラーとなった『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)をはじめ、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。新刊は、『書評の仕事』(ワニブックス)。2020年6月、日本一ネットにより「書評執筆本数日本一」に認定された。